だからねこのごろ 落語家でも そうよ昔は 80過ぎの落語家なんてのはいなかったんだ今 結構 いるんだよ米丸君な 俺 春団治君それから 今の金馬君。 この間ね 米丸 圓歌 春団治これに 松之助って大阪に 落語家がいるんですこの4名で 落語会 やったんです。 俺ぁ 聞いたんだよ「何で 落語家の会長が一龍斎貞山って講談の先生なの?」ったら志ん生師匠が「しょうがねえんだよみんな 金 借りてるから」ってえの。 子供の時から吃音でねなんとかして 落語家になりゃ治るのかなと思って。
文京区のほうのズ~ッと こっち 来るとそこに 一番町から六番町まで ある。 だから 勝 新太郎さん若山富三郎さんあの方が ご幼少で俺たちと一緒だったらきっと 近所に居たんだよ。 また 止めた運転手が すごいや俺と同じ 本物の江戸っ子だからこの辺から 声 出しやがって「気を付けて 歩け クソッタレ婆マゴマゴしてると 轢き殺すぞ」って。 その時 もう 既に三十何年 落語 やってたんだよ?俺は 三十何年人を笑わすのに努力してるのに家の おふくろ3秒で笑わせたもん。
てぇのを よせばいいのに病院から出てきて 1週間NHKが「すぐ 放送しろ」ってぇから「病院生活」ってぇのをやったんだよこれも今のまんま やっちゃったのしたらね 2週間 経たねえうちに病院から 電話 かかってきたよ「圓歌さん。 だけどねお寺から 病院へ行ってそのまんま 入院して家へ帰ってきたでしょ?すぐ そのまんま 病気だからって寝てる訳にいかねえんだから入院してたあとだから家でも やったよ 風呂場で。
3番目の お婆ちゃんこれ 落語みたいなもんだよ「明日の晩 病院に行くぜ」ったらその前の晩 死んだんだから。 一番長く生きてたのが家の親父だよ。 小ちゃな庭がありましてねそこに 螺旋階段があって一番上へ上がってくの。 ただ コロコロ コロコロ 来ないよケックリコンコン ケックリコン ケックリコン。 また よせばいいのにその入れ歯を取ろうと思って今度 手前が落っこちちゃったズドン ズドン ズドン ダダン。 2番目の親父はこれ 何だか知らねえけど家の親父が帰ってきた三月目にまた 倒れちゃったんだ。
親父に 無理に 岩倉鉄道学校へ入れさせられちゃってね。 で 私は 新大久保の駅員に回されたんです。 でも その時分でも 私なんか山手線ってぇのは2つの駅しか知らねえよ高田馬場の駅と 渋谷の駅。 高田馬場は堀部安兵衛で知ってたの。 そんなもんですから最初の 新大久保の駅にね駅員 させられた時地図 探したら 無いのよ。 目白と新大久保 抜かされてたんです。