宮城県名取市の閖上地区です。 そして…市長自身も 閖上にあった自宅を流された被災者でした。 去年7月 宮城県名取市で震災後初となる市長選挙が行われました。 この時 既に 被災した閖上地区の町づくりを巡り行政と住民の にらみ合いが始まっていたのです。 市が選出した住民8人による多数決の結果現地再建に決まりました。 ところが 市が説明会を開くと住民の多くは佐々木市長の素早い動きそのものに まず反発しました。 震災の半年後 復興計画をまとめ閖上の町を もとあった現地に再建する事を決めました。
仮に住民の多様な意向を尊重すれば町が分散してしまい今後 人口減少が進む中高齢化する町を維持できるか懸念が生まれます。 住民の間にさまざまな団体が乱立して互いに対立する事態が生じているというのです。 桜井さんは各住民団体に声を掛け同じテーブルで話し合おうと呼びかけました。 この日 集まったのは住民団体の代表など およそ50人。 現地再建を支持する団体や町の移転を希望する団体自宅が流されなかった住民の集まりなど都合 12の団体が参加しました。 意見の異なる住民同士が復興について話し合う試みは続いていました。
佐々木市長自らが住民に向けて語るのはおよそ1年ぶりの事でした。 冒頭 復興の遅れについて謝罪した 佐々木市長はその後 自ら新たな事業計画を説明しました。 まず 意向調査の結果町を出たいと希望する人が多かったため5,000人規模の町とする当初の計画を3,000人規模に縮小するとしました。 事業計画の変更を公表した名取市は住民に意向を聞く2度目の個別面談を行いました。 町としての機能を維持するのにぎりぎりのラインで立案した3,000人規模の事業計画。 佐々木市長が向かったのは復興庁でした。