歴史秘話ヒストリア「発掘!真田幸村の激闘~最新研究から探る 大坂の陣〜」

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豊臣方の籠もる大坂城に攻め寄せました。 全国から続々と 牢人たちが集まる中一人の大物が 大坂城に現れます。 真田勢を含め…大坂城に 幾重にも巡らされた防衛ラインです。 更に この堀は大坂城の三方を巡る自然の河川や 水堀と共にこの 惣構堀によって敵は 本丸はおろか 城下町にすら足を踏み入れる事ができません。 城郭史の専門家 千田嘉博さんは大坂城の 惣構堀の規模は世界的にも例を見ないと言います。

しかし そこで徳川方を待ち受けていたのは1か月前には なかった巨大な要塞 真田丸でした。 徳川方の死傷者が極めて多かった事から真田丸にも こうした銃が 大量に備えられていたと考えられます。 火蓋 切れ!放て!撃て~!真田幸村の考え抜かれた戦法によって大きな被害を被った 徳川方。 これらは 攻めあぐねる中で堅固な真田丸と惣構の備えにより大坂の陣は 予想外の長期戦にもつれ込みます。

記録によれば 徳川方を寄せつけなかった惣構堀は僅か3日で 跡形もなくなり…この時に 堀と一緒に…堀が消え 和睦が成ったはずだった豊臣と徳川。 開戦直前幸村が 娘婿に宛てて書いた死を覚悟で 幸村は家康との決戦に臨みました。 この時 幸村が ある秘密兵器を用意していた事が幸村が「宿許銃」という小型銃で家康を狙撃したと書かれているのです。 自らの部隊 3,000を率いて…真田左衛門佐 参上つかまつった!大御所の御首 頂戴いたす!2発目を撃つため 幸村は弾を詰め替えようとしますが…。