地方発 ドキュメンタリー「基地に消えた 私の村~沖縄“普天間”の戦後〜」

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基地の中に お墓がある人たちが年に一度 アメリカ軍の許可を得て墓参りをしています。 国吉さんの生まれ育った集落は戦前 この基地の中にありました。 しかし戦後 宜野湾村には2つの アメリカ軍基地が建設されました。 戦争は 国吉さんから家族も ふるさとも奪いのどかな農村を広大な基地へと変えました。 父親を早くに亡くした玉那覇さん一家は代々受け継いだ畑で芋や サトウキビを作り生計を立てていました。

1960年には 普天間基地にアメリカ海兵隊が移駐してきました。 日本政府は 復帰に際してアメリカ軍が 沖縄の基地を継続して使用する事を認めていました。 アメリカに代わり今度は 「祖国」日本が村の人々に 土地を提供する契約を迫る事になったのです。 「契約地主と 未契約地主を いがみ合わせるような手段だった」。 結局 地主の9割が日本政府との契約に応じました。 先祖代々の畑を基地に奪われた…契約に応じた地主の一人です。 玉那覇さんは 当時地主たちの意見を調整し契約をまとめました。