あさイチ「戦争ってなに?」

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佐賀県や岡山県そして昨夜遅くには愛知県でも雨の量が1時間に100ミリを超えたと見られています。 100ミリの雨とは1m四方に、2リットルのペットボトル50本100リットルもの水が1時間で降り注ぐということなんです。 実はこれから今夜にかけても東海と関東甲信東北を中心に大気の不安定な状態が続いて、各地で雷を伴って1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨が降るおそれがあります。

広島に原爆が投下されてから、68年となる原爆の日のきょう、広島市で平和記念式典が行われました。 松井一実市長は、核兵器は非人道性の極みで、絶対悪だと強調し、日本政府に対し、核兵器廃絶を訴える国々との連携を強化するよう求めました。 平和記念式典は、爆心地に近い広島市の平和公園で午前8時から行われ、およそ5万人が参列しました。 初めにこの1年間に亡くなった人や、新たに死亡が確認された人、5859人の名前が書き加えられた、28万6818人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められました。

自分自身が戦争を直接体験しているわけではないからどうやってね。 去年の放送後もう一度放送をしてほしいとか戦争の悲惨さを伝えることは大人いつどこまで伝えていいか分からないという声でした。 ゲームで遊ぶ俊志君の姿に美由喜さんは違和感を抱いています。 10年前まで小児科の看護師をしていた美由喜さん。 ことしの夏休みの宿題が美由喜さんの背中を押しました。 夏休みに入ってすぐ美由喜さん親子は実践します。 俊志君が自分たちの町も空襲に遭っていることを発見しました。

子どもへの戦争の伝え方を実践を通して研究し広めている滋賀県平和祈念館学芸員の北村美香さんです。 何か方法はありますか?大きな戦争のできごとがない地域でも当時、日本国じゅうで子どもたちが戦争というものに巻き込まれながら食べるものがなかったりとか学校の教科書が、今と少し違っていたりとか場所によっては学童疎開で、遠く分かりやすいかもしれない、自分の住んでる町からというのは。

当時、広島市に住んでいたさおりさんの祖父母が原爆の被害に遭っていたのです。 子どものころ、おじいさんと一緒に訪ねた原爆資料館。 地元で起きた原爆をどこまで伝えるか悩み抜いた末に勝部さんは大切なことに気が付きます。 この日、原爆資料館を訪ねました。 立命館大学教授で子どもと戦争のトラウマについて研究している、村本邦子さんです。 でも僕らも子どものときに、例えば学校の図書室でそういった原爆の被害にあった人の写真を自由に見られたわけですよ。

こういう怖い人形があったりとかいろんな写真があるけれども、一緒に見てみる?と声をかけて子どもの意見を一度聞いてみるというのも1つの方法なのかなと思います。 戦争はだめだとか平和が最高だとか、ことばでは簡単なん原爆の日の説明をしていたら小学校1年生の子どもに悪い人が爆弾を落としたのね?と聞かれて困ってしまいました。 僕も小さいころ映画館で戦争の映画を見たときに父親に向かって、どっちがいいほうで、どっちが悪いほうなの?って聞いておやじは分からないと答えた。

でも私の子どもはそれがないから読んでいたときに聞かせるためにはどうすればいいのかという第一歩を、やっていくためにはこの男の子は小学3年生でしたけれども、何年生ぐらいからとか、年齢もどうしていったらいいのかなというのが。 私が初めて戦争映画を見たのはたぶん小学校5年生なんですよ。 私は小学校1年生のときに戦争の話を、おじいちゃんから教わりました。 毎年おじいちゃんから話を聞いています、小学4年生のときにも学校の先生が、はだしのゲンを見せてくれました。

長女の京佳さんは、お母さんが自分の思いを伝えてくれたときにお母さんも、つらい思いをしたと思うけれども、よく自分に話してくれたと、お母さんの気持ちを聞けたことがうれしかったと話していました。 これから自分も学んでいきたいという気持ちを受け取れたんです紛争地を渡り歩いてきてるから、戦争は嫌というほど目の当たりにしてきたけれども正直に言って、1つのことばで戦争を伝えるのは無理だと思う。