中山さんの本格的なタレントデビューは1985年。 司会ぶり、MCぶりが注目されたのが「DAISUKI!」ですね。 そのきっかけが「DAISUKI!」という番組ですね。 もしかしたら、それが画期的テレビでやるものなんだろうかという感じで日常的なことあしたできること「DAISUKI!」ではやっていました。 中山さん自身は出演者だけではなくて番組作りにも積極的だったんですよね。
当時、松本明子さんと飯島直子さんと手をつないで腕を組んで歩くというのが当時、斬新だと言われました。 ありましたね、マスコミや週刊誌もそうでしたがテレビをあれだけ本数をやって、まともにできているんだろうかということと、そんな簡単なもんじゃないだろうということと中山秀征がテレビをだめにすると書かれたこともありました。
中山さんご自身が談志さんのもとに出向き、出演交渉へと乗り出しあの談志さんが出演を快諾東京の下町を中心に番組の撮影が行われました。 談志師匠が案内する立川流、下町旨いもの巡り。 その談志さんにみずから乗り込んで出演交渉にいって初めて出演交渉に行ったときはどうでしたか。 好きが高じて、お会いして番組出演そこまではあれなんですがそのあとに談志さんをやってくれと言われると思いませんでしたから。 若いころ青年期は小出恵介さん晩年期が舞踏家の田中泯さんが演じるんですが中山さんは壮年期。
まずは顔が似ているのとどっちかというと重たい雰囲気全部、衣装とひげとバンダナをつけて談志そっくりなわけですよ。 さっきVTRにでたときベッドの上でヒデちゃんがバタバタていましたけど談志が寝てたベッドに入ったのはヒデちゃんが初めてご家族の方は全部そのまま残しているんですよね。 その現場で談志さんをそのはり紙に泥棒さんへこの部屋は金品はありません資料だけなので1か所1か所全部思い出がありますよね。