ヒバクシャからの手紙

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広島 長崎の被爆者の多くは当時の記憶を閉ざしたまま生き続けています。 手紙でなら書き残してもらえるかもしれないと考え私たちは 6年前から被爆体験を募集してきました。 今年 その手紙に向き合うのは被爆者の祖母をもつ…被爆者の言葉を私たちは どう受け止めていけばいいのでしょうか。 被爆者の方々に書きつづって頂いた 壮絶な記憶や今も抱える心の痛みを朗読しながらお伝えしていきます。 被爆体験を受け止められないという事ですね。 それに 自分でまずビックリしたのとそれから その被爆者の方たちを取り巻く環境。

被爆者お一人お一人の体験をお手紙を通してお聞き頂きます。 広島市宇品で 陸軍船舶兵として従軍している時に被爆。 そういう言葉を発せられる人間っていうものを手紙に書かれた内容のすさまじさだけではなくて書く事自体が被爆者の皆さんにとっていかに大変な作業かという事です。 永遠の謎になってしまったんですけども僕は小さかったっていうのもありますけども何か 自分が思い込んでいた被爆者の祖母というのと今回 平さんが おばあ様の体験より知る事ができないかという事で被爆者の方に直接 お会いになったんですよね。

実際に そういう関心を持った人がまだまだ いるんじゃないかと被爆の経験を語るというのが軽い気持ちというかこっちも ちゃんとそれを受け止める用意がないとあの… 話す度に彼女の思い出というか桑子アナウンサーも 平さんと同じような思いを抱いているんですよね。 被爆者健康手帳を持っているという事は聞いていたんですけれどもその先 それ以上の話を聞くという事は私はしなかったんですね。 ランディさんは どういうふうにお感じになりましたか?私ね 被爆体験をどう捉えるかって大事だなって すごく思うようになったんですよ。

しかし 心ではそう思っているけれど実際に 真正面から戦争や被爆などの現実に向き合ったことがないと気づきました。 まずは 被爆した親戚のおばあちゃんに戦争体験を聞こうと思います」。 「被爆者達の思いは若い世代には届いていない。 「私は 正直 太平洋戦争で米軍が投下した原爆は間違っていなかったと思う。 原爆は 戦争で アメリカによって落とされたんです。 人間が生活している上に核兵器を ボットンと落とした訳です。

なかなか 被爆体験が伝わらないと感じている 田中さんとランディさんに どんな対話が生まれたんでしょうか。 田中武司さんは広島市の東隣にある府中町で暮らしています足や手などにひどい やけどを負いましたその被爆体験を若い世代に伝えるため学校に出向き 語り継ぐ活動を行っています何百人という人が頭から 体中 血だるまになってどんどん どんどんくもの子 散らしたように逃げていってるのを見るの。

ランディさんは この日のあとその後も文通を続けているそうですね。 手紙のやり取りをしているうちにどちらが差出人でどんどん反転していってしまう不思議な感じになっていく訳です。 でも 私たち 被爆の経験がない立場から言うとなかなか 被爆者の方々にですね同じ土俵でというかそれは 大きい 小さいすごい ちっちゃいってはかる事ができない。 今回 田中さんにランディさんと お会いしたあとに感想を伺ったところ「これからは子どもたちに語ったあと感想の手紙をもらったら返事を出して文通をしてみようと思う。

被爆した方は 被害者でありながら多くの方が生き残った事に罪悪感を抱いていらっしゃいます。 生き残った方々が負い目を感じている罪悪感を抱いているというそういう お手紙でしたけれども私は 20代の時に 劇団に入って演劇をやっていたんです。 更に 被爆者の方を苦しめているのはその 生き残った罪悪感だけではありません。