1964東京オリンピック 第2回「オリンピック招致にかけた男たち」

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まだ 貧しかった日本がオリンピックを開催したいというのは無謀な事だと考えられていました。 司令塔として招致活動を引っ張った…世界各国で東京支持を訴えて回ったアメリカ在住の日系人…そして 開催地が決まるIOC総会で 最終スピーチをした日本の選手は金メダル6個の大活躍を見せました。 しかし 戦後 海外の大会への出場は 一度も認められず前年のオリンピックは参加を拒否されました。 このアメリカ遠征には後に 田畑のオリンピック招致活動を支えていく人物が関わっていました。

オリンピックを東京に招致したいと宣言し 周囲を驚かせます。 じか談判したのは…日本人には オリンピックが必要だと田畑は 訴え続け大きな うねりとなる中で東京は 正式に立候補する事になりました。 オリンピック招致の鍵を握る事になる第3の男…同じ船に乗り合わせたのは…ああ どうも ありがとう。 オリンピックを東京で開くのは日本の力を見せつけるためだけじゃない。 先生! 大丈夫ですか!?おい! 誰か! 誰か!先生! 先生!嘉納治五郎は 日本到着の2日前に船上で亡くなります。

平和の祭典 オリンピックを開かせてほしいと訴えこう続けます。 「オリンピック、 オリンピック。 やった! あっ… 痛っ!おい! もしもし? もしもし?IOC総会が目前に迫る中で平沢が 最終スピーチを務める事になりました。 勝利の目安の30票を取るには更に 票の上積みが必要で当時は会議場だった このホールでIOC総会が開かれました。 この3人には 敗戦で傷つき自信を失った日本人が立ち上がっていくためにもオリンピックを実現させたいという強い思いがあったんですね。