1964東京オリンピック 第3回「“1億人”に勝利を~アスリートたちの挑戦〜」

戻る
【スポンサーリンク】

戦後の混乱が明けると 人々は失いかけていた自信と誇りを東京オリンピックが近づくにつれ期待は 更に高まりました。 「来年オリンピックがあるってのに 何で子どもを今年 産むんだ」って怒られましたよ。 東京オリンピックを目指す全ての選手たちの課題でした。 金メダルに輝いたウエイトリフティングの三宅義信さん。 当時ね オリンピックやるために年中 道路はひっくり返してるわ物は飛んでくるわいろいろある訳ですよ。

これをきっかけに柔道から転身し…不条理で非合理的な日本の軍隊の体質に強い憤りを感じていました。 レスリングチームは総監督 八田の指示でほかの競技に先駆けて選手村に一番乗り。 八田が宣言した8個の金メダルは 取れるのか?オリンピック史上最大規模を誇りました。 そして 日本は地元開催の意地を懸け前回の倍以上の355人の選手が世界に挑みます。 その中で 日本勢はどこまで戦えるのか?さあ いよいよ東京オリンピックの始まりです。 水泳では オーストラリアのフレーザーがオリンピック3連覇を達成。

食べていいんですってどうします?吉田の体調は 大丈夫なのか?関係者が心配する中レスリングが始まりました。 吉田が優勝するためには絶対に このアリエフに勝たなければいけません。 そして 吉田が アリエフに勝ったあと韓国のチャン・ジャンソンを破りますとフライ級で 日本が 初めてレスリング フリースタイルの金メダルを獲得するという順序になる訳であります。 鐘が鳴りました!吉田 勝ちました!日本の吉田 勝ちました!館内を埋めました日本の観衆 大喜び。 日本人全員で取った 金メダルでした。