NHKアーカイブス「TV60年 ドキュメンタリーの源流」

戻る
【スポンサーリンク】

♪~昭和28年2月1日NHK東京テレビジョンの開局にあたり…テレビは 放送開始から今年で60年を迎えました。 今回は その中からドキュメンタリーにスポットを当てます。 1957年に NHK初の本格ドキュメンタリー番組として始まった「日本の素顔」。 考えますと 当時 ラジオが まだまだ全盛時代だったと思うんですがテレビにおけるドキュメンタリーというのもまだ 始まったばかりという時期でしたね。

私は しんから治そうと思ってきたんですから会社からの税金で市の財政の半分を賄い従業員や その下請け業者など会社の関係者が人口の半分を占めるこの町の中では漁民たちの存在はあまりにも小さなものでした。 大学の有機水銀説に会社の研究陣はこう 疑問を投げかけます。 私どもの工場の排水が疑われておりますけれど日本中には 私の方と同じような仕事をしておる同業会社の工場が十数社ございます。

欧米の この種の化学工場では排水処理のため設備費の1割を割いているのが 普通ですが日本では そうしたところに金をかけている工場は少なくしかも つい最近まで工場排水を取り締まる法律さえありませんでした。

そして もう一つは原因は 一体何なのかっていうところに当時の限られた条件限られた情報ながらチッソは 当時 化学工業界の中心的な存在でしてチッソが生産する化学物質を止めてしまうとそれからなんと 8年後に至るまで政府は 原因不明のままで対応しなかったという事でその 社会に与える影響と言いましょうかね。 当時 あれだけ患者の生の声 生の表情現地に行って撮影して それを番組に構成したっていうのは1966年に連続航空事故っていう大変な航空事故が収まりきれないような膨大な情報が集まってここで ご覧頂きたいと思います。

この事実から墜落の僅か5秒前に異常降下に気付いた機長か副操縦士が「パワー パワー」と叫んでエンジンを加速した事がボイスレコーダーの「ギアダウン」「車輪を下ろせ」という言葉がそれを知る重要な手がかりとなった。 事故の時 操縦していたのは機長ではなく副操縦士ではないかという話はインドの事故調査からも漏れ伝えられていたがこの分析から それが科学的に裏付けられたのである。

操縦していた副操縦士が最も 頼りとしていたと思われるのが このフライトディレクター。 仮に 問題のスイッチが2の側にあればこのフライトディレクターにはILSが入る。 しかし このスイッチが1の側にあったとすればこのフライトディレクターにはVORの情報が入ってしまう。 しかし 万一副操縦士がILSを受信しているものと信じていたらどのように急降下させても計器の針は 正常なコースを示しているように見えただろう。