そんな山本さんたち田辺の中学生の意識を大きく変えたのが 「シンサイミライ学校いのちを守る特別授業」です。 いつの日か 大きい津波が来た時に一網打尽で死んでいってしまう。 あの日 田辺市にも大津波警報が出されました。 津波警報が出た事は知ってた?はい。 だけど津波警報が出ても逃げない。 「津波が来たら避難」という「知識」ではなく津波に向き合う「姿勢」を教える。 次に こうした先生の教えを受けた釜石の子供たちがどうやって大津波を生き抜いたのか子供たち自身の言葉に学びます。
いざという時 ちゃんと避難できる自分をつくるために片田先生が示したのが釜石の子供たちに教えてきた津波避難の3原則です。 釜石で伝えた 子供たちへ教えた避難の3原則というのがあってその一番大事な事は 想定なんかにとらわれちゃいけないという事。 より高い場所を目指して避難し命を守った釜石東中学の生徒の行動に学びます。 そして 鵜住居小学校という隣の小学校の校舎に向かって「お~い 津波が来るぞ 逃げるぞ」って声をかけてそのまま ここの「ございしょの里」という所に向かって 走っていきました。
その前提にあるのはもちろん 自分の命は授業のあと 生徒たちは黄色い花びら形のカードに卒業証書。 片田先生からの宿題に子供たちがまず取り組んだのは防災マップづくりです。 地域の人が頼りにしている…一人でも多くの人が避難できるために 何が必要かご住職と一緒に考えました。 お年寄りの方をね一人でも手を引っ張って頂いて次に取り組んだのが地域の人たちとの…学校から走ってすぐの所にある幼稚園です。 園児30人ほどのクラスに先生2人しかいないためこの幼稚園で考えたのがロープを使って列になって歩く「電車ごっこ避難」です。
日頃は ああやって避難訓練をやっている小さな子供や おじいちゃんおばあちゃんを助けてくれるあんな訓練をしている子供たちを「中学生は もう助けられる立場じゃない助ける立場だ」って言ってたんだよ。 でも あの日 あの瞬間中学生が リヤカーを引いて迎えに行く姿を考えた時はもう耐えられなかった。 子供たちの 中学生の その日その時の避難の写真が これです。 釜石の子供たちは 自分の命はしっかり守りながらもその中で できる事を精一杯やるという行動の中で小さな子供たちの命をいっぱい いっぱい守ってくれた。
そこに行っちゃうと やっぱりみんなで命を失う確率が高くなると思うから助けたいっていう気持ちを大切にするのと同時に やっぱり自分の命を守らなきゃいけないという気持ちも大切にして保育園の先生たちと連携を取ってそれで みんなが助かるような避難訓練の方法とか良かったと思う備えはありますか?自分たちが やった事で少しだけでも命を救えたのはそれで あとから聞くと…階段があったんですけどその階段 あと2段上れなくて死んでしまった方もいてやっぱり 自分の中ですごく悔しかったっていうかそういうところもあって。
私たちの防災学習の基本となったのは片田先生から教えて頂いた津波避難の3原則「想定に とらわれるな。 釜石高校の菊池さんとの対談の中で私たちの課題である「自分の命を守りながら他の人の命は守れるのか」という事について聞いてみました。 まず 私が通っていた釜石東中学校は東日本大震災で避難して「釜石の奇跡」と呼ばれるような学校になりました。 3時間ほどたって 釜石の町の方の避難所に行きました。 そして ようやく釜石市の避難所に着きました。