NHKアーカイブス モノづくり日本 再生への道しるべ(1)電子立国 繁栄の歩み

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戦後の復興から 高度成長を経て経済大国となった日本厳しい状況に置かれています果たして 日本の産業は輝きを取り戻せるのでしょうか「NHKアーカイブス」では3回シリーズで日本が 技術を極め 産業大国へと上り詰めた歩みを振り返ります第1回は繁栄を極めた電子産業の歴史第2回は一時代を築いた カリスマ経営者経済を再生する取り組みが求められています。 「NHKアーカイブス」では日本経済を支えてきたモノづくりを改めて見つめて 3回にわたって経済再生への道を探ってまいります。

日本の各地に団地が現れた昭和30年代にテレビ 洗濯機 冷蔵庫のいわゆる三種の神器が一般の家庭に入り始め 冷蔵庫は10%の普及率になりました日本の経済は どんどん伸びていっておりまするからそれは 日本の経済的な復興ぶりを世界に誇示する儀式になった。 カメラ会社が開発した…レンズ設計で膨大な計算をするキヤノンカメラでは静かで 速い計算のできる計算機の開発が必要であった。 やがて 若者たちの議論がトップの知るところとなり特に コンピューターとか先端技術ですから学生時代にも そういう技術がなかった訳ですからね。

世界的権威 フィスターが書いた名著「ディジタル計算機の論理設計」1年間 毎日 大学に通い終日 研究室で過ごしたあと会社で その日の復習をし応用問題を解き次の日の予習をして一日を終えた。 ゲルマニウムトランジスタの温度特性に問題があった。 熱の出るトランジスタが500個も密集すると電卓内部の温度が高くなり過ぎたのである。 計算機を持って寒い部屋へ入りますよね。 冷蔵庫の研究室にあったんです。 そこへ 計算機 持ち込んでですねそれで ず~っと下げていった。

ラジオ用の安いトランジスタを回路の工夫でカバーするために数え切れないほどの改良を重ねその度に 試作機を冷凍室と高温室に持ち込んだ。 やがて 計算機の過ちは日ごとに減っていった。 特性の悪いラジオ用トランジスタを使っても計算機の信頼性を維持できるようになったのである。 一番 打撃を受けたのがリレー計算機のメーカーで カシオ計算機。 従来の計算機。 ですから 電動計算機のシェアを食って 伸びてきたカシオ計算機は今度は 自分が食われる番になる訳ですね。

リレー計算機の製造は即刻中止され若者たちが 本業の傍ら試作していた トランジスタ電卓が急きょ 社運を懸けるプロジェクトに格上げされたのである。 ビジコン社が 昭和41年に発売した161型電子式卓上計算機。 私どもの 安くなったのはコアメモリを こういう電卓に日本では 初めて採用したという技術のイノベーションによってこういう事ができたんだからそれは技術の進歩って事を考えれば納得できませんっていう事で電話 切りましてそして もう 新聞社なんてメッセージ出してる訳です。

しかし ハガティー会長は言いました「とにかくポケット型計算機を作れ」と。 「ハガティー会長も 私もやがて 誰でも一人一人が計算機を持つ事ができるようになると思ってるんだ。 その計算機は 持ち運びができ計算を入力するボタンと計算の結果を表示するネオンのようなものがついていてしかも 当然電池で動くものになるだろうよ」。 机には ちゃんと卓上計算機があるじゃないか。

そうなってくるとそれまでのトランジスタをバイポーラっていうんですよ。 バイポーラ型トランジスタっていうんですけどそれで それを集積したものをバイポーラICっていうんですがバイポーラICではなくて次なるタイプのトランジスタが必要になってくる訳です。 もっと別の言い方をすると電界効果型トランジスタ。 通産に MOSで半導体 LSIを作って非常に小型にした電卓を作ってそれで 輸出産業の花形に更に 伸ばしていくという事で補助金をくれた訳ですね。 MOSLSIを安定させる方法が考案された。

アイストン社長が 一転して電卓用MOSLSIの製造に合意した。 LSIを使った新型の電卓が出来るごとに箱へ こう 入れてやって毎年 行ったら入れ替えに行っとったんですけど。 ロックウェル社の成功でアメリカ側の半導体会社も また日本の電卓メーカーを求めたのである。 そうすると それまで電卓業界のために一生懸命やってきた半導体業界は一斉に 注文がアメリカへ行っちゃう訳ですね。 最大の特徴がたった1個のMOSLSI。 ワンチップのLSIが僅か6か月で完成した訳です。

テキサスインスツルメンツ社製LSITMS−0105。 これに キーボードと表示装置をつなぐだけで 電卓が出来た。 その ほとんどがテキサスインスツルメンツ社のチップを使ったのである。 電卓市場は 年々 倍々ゲームで伸びやがて 頭打ちになり価格が 急激に下がり始めた。 8桁電卓が8万円 5万円 4万円。 …で 1万円で出来る電卓を作ろうっていうんで… 羽方とね。 実は ちょうど昭和46年っていうとボウリングがものすごく盛んなんですよ。

6桁の加減算12桁の掛け算 割り算一個のMOSLSI単3 4本で 連続使用10時間予想原価 4,500円。 三日三晩かかって論理回路を書き上げた時昭和46年は大みそかの朝を迎えていた。 明けて 昭和47年 図面は日立製作所 武蔵工場に渡され3か月かけてLSIに加工された。 ♪「答一発」♪「答一発」 カシオミニってテレビのコマーシャルも覚えてますけどね。 だから もう ほとんどのメーカーが大企業 中小企業含めて…これ 日立でも カシオでもそうですけどね想像を絶するような在庫にのたうち回ったっていうのが。

PMOSとNMOSというのがあるとこれは 頭から そう思って下さい。 NMOSとPMOSというのがあって2種類 組み合わせて セットにしてそれで使うと電力消費量がまた一段と少なくなると。 これは 電池化でこの当初の電池化っていっても電卓が PMOSでやった場合400mWとか 500mW食ってましたがこれは 大体 10mWぐらいで済んでますんでそういう面ではすごい パワーセーブなんですね。 それで 出来上がったのがワンチップのLSIのCMOSの電卓なんですけども。

ご承知のように半導体っていうのはどんどん 技術の進歩が激しいですしまた その量産工場というのは非常に 設備投資が多額につく訳ですね。 しかも その工場を造るのに何百億という多額の投資が必要だという事はその短期間に それだけの設備投資を償却するだけの量的な需要の裏付けがないと半導体産業が伸びない訳ですね。

そのエンジニア技術者たちというのは…。 多分 そういうエンジニアたちがこういう事 やりたいだから輸出の競争力を失ってくるとますますそういう事になっていたという不幸が 長く続いてしまった。 じゃあ どうして 彼らがこれ できたのかっていうと今は ないけれど 自分もマーケットの一部だと考えると自分が欲しいと思うものがきっと みんなも欲しいだろうとあの技術者たちは信じたと思うんですよ。 いわゆる アメリカのアップルのiPhoneが 世界中に売れた。