1979年 天野さんが創刊した雑誌「広告批評」。 一番 印象的なのは「広告批評」をやめる頃になっていなくても おかしくないという不思議な存在の方でした。 まず 見てらっしゃるとおっしゃいました仕事ですが「広告批評」が発刊されたのが1979年ですね。 糸井さんの代表的なお仕事を ずっと温かい目で見守っていて糸井さんも…そんな事 言っては ちょっと失礼かもしれませんが随分 いろんなところで天野さんと時代を伴走したりそれから あるいは一緒に議論したり見守ってもらったりしてきたんじゃないかなって気はしますね。
人は 「おいしい生活」っていうたった1行なので「こういうので コピーライターなんて成り立つのか」って思ってらっしゃるでしょうがあれは やはりあそこに行き着くまでに何百枚って糸井さんは書かれてその辺のプロセスの苦労も天野さんは 全部 知っていらしたという意味で単に 言葉を持ってくればいいとかきれいにデザインを整えればいいという事が広告ではないという事も厳しい目で 一方で広告を捉えてもいましたね。
でも そういうふうに誇張した事の中に実はある ホントみたいなものがちらっと見えてくるのが芸術や芸能の役目でしょ?そういうのは いいと思うんです。 CMってものについては すごく価値を置いてる方でしたが真面目くさって何となく ホントらしい事をでも 心や あるいは 精神はホントに満たされてる? という反語形のコマーシャルで 大貫卓也という天野さんも認めてらした…グランプリ 取ったぐらですからねカンヌで。
みんな こう ギッと力んでいて気負ってる所に行くと何とも言えない この脱力系のねあの力が抜けた その言葉がね実は 一番 強いんだという事を何度か ご一緒する中で「あっ 今日も やられてしまった」みたいに思うぐらいご自分の意見をどういう 声の調子やどういうトーンや速さでやったら一番 届くかと。 コストをかけずに最大限のP.R.効果を生むと期待されている今 ブームのキャラクター戦略に迫ります。 公募で選ばれたキャラクターがインターネット上で話題になり口コミで広がっていくという新しい現象が起こりました。
これは 2020年に 東京オリンピックが開催するのが決まったのを受けまして新聞には「成長最優先」という言葉が躍っていたのを受けて書かれました「『別品』の国へ」というコラムなんですが。 だから 流行語も全然 否定してないしそれから正しく 日本語を使いなさいとしかつめらしくも言わないし言葉は 大好きだったんじゃないんですかね。 1985年放送の「青春プレーバック天野祐吉下町のやじと熱気が好きだった」。
そうすると 劇団の女優さんたちがパッと舞台に並ぶ訳ね。 そうするとね 客席の3階席の一番後ろから舞台までロープが張ってあって そこをサ~ッと降りてくる訳 派手に。 見た事ないんですよその冒頭が ものすごい大通りでそこに 熱気が ムンムンあふれて人が いっぱい 歩いてて通りには 大道芸人や何かがいろんな事をやってる。 殺菌されたみたいになって大道将棋とか 大道芸とかそういう人が どんどん見えなくなっていくというのは寂しい気はしますね。 三三六法引くべからずこれを引くのが男の度胸。
ガソリンスタンドで ここは いると思う。 当時は 一緒に 悪ガキ遊びをしていらっしゃったと?そうですね 祐ちゃんって言ったら失礼かもしれないけど先輩ですからね。 映画館みたいな感じなんですけど…。 映画館と そんなに変わらないですよね。 ホント この感じ 映画館。 その時にね一番前の方にいた お客さんが「もっと真面目にやれ!」って野次 飛ばしたの。 その人は その人なりの真面目で。 場違いの真面目さは実は 不真面目であると。 あなたも 早く真面目にやりなさいと 理屈で言えばそういう事になるじゃない。
特に 僕らのような編集者の仕事っていうのは下町のおじさんたちに対抗できるような野次をねいくつになったら飛ばせるか分かんないけど そういうのを飛ばし続けていきたいなとそういうものを目指して面白い野次を飛ばし続けていきたいなというふうに思います。 タイミングを逸しちゃ駄目で実際は 全然 一度も野次 飛ばせなかったというのは多分 機を逸したんでしょうけど何か 絶妙なタイミングで ふっと物を言う あの言い方とか…。
そういう 言葉の大切さを子どもたちに伝えた番組をここで ご覧頂きたいと思います。 2009年放送の課外授業 ようこそ先輩「人は コトバで できている」。 でも からだ遊びって今回のテーマの「言葉」と何か関係あるんですか?天野さん。 政治家の人がよく使う言葉ですね。 わざと難しいのを選んだんじゃなくてこういう言葉が 日常の新聞や政治家の人たちの発言の中にはえ? 普通の言葉に言いかえる?これは なかなか難しそう。