さよなら川上哲治さん 打撃の神様と言われた男

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この番組のまとめ

打撃の神様V9監督・川上哲治さんがお亡くなりになりました。 巨人は川上監督時代以来の連覇を逃しました。 川上哲治さん。 数多くの栄光に包まれた川上哲治さんの人生。 お隣、川上さんを師匠としてそして、大のジャイアンツファン黒鉄ヒロシさんです。 そんな川上少年に投球の手ほどきをしてくれたのは野球に詳しかった父親でした。 やがて、川上さんは野球が盛んだった熊本工業に入学。 プロ野球選手も次々と召集され川上さんも兵役に就くことになりました。 野球人気の高まりとともに川上さんは、スターへの階段を昇っていったのです。

かつて川上さんのトレードマークだった強く低くスタンドに運ばれる川上さんの打球。 それは「弾丸ライナー」と呼ばれそんな川上さんの活躍を目の当たりにしていた1人の少年がいます。 川上さんがまさに円熟期にあった昭和25年。 多摩川のグラウンドでの練習中不思議な感覚を覚えたといいます。 静かにバットを置いた「打撃の神様」川上哲治。 とにかく川上さんボックスへ入りましたらね金輪際ボックスから出ないんですよ。

バッター・川上哲治にはどんな?もう、練習のときから僕らは、とにかく近寄りがたい存在の選手だったしもう、ことばなんてかけられない。 だから、たまにね練習のときに呼ばれてトスバッティングをするんですけどもそのときに、ちょっとボールになりますと僕は自分で言うのはおかしいんですけれどもキャッチャーフライが本当に上手になったというか打撃の神様として一つの時代を築かれました。 今でこそ当たり前のことですが当時打順に徹底した役割分担を課す川上野球は革新的でした。 選手の適正を見極める川上監督の目は確かでした。

このとき川上監督は確信したといいます。 川上監督の確信は現実のものとなりました。 誰がやっても、例えば王貞治が監督をやったとしてもあの当時の戦力だったらね何回か絶対勝ってますよ日本一になってますよ。 だから、当初から野球の細かいことよりもだから、ジャイアンツの時間というのは30分前がごく当たり前。

VTRまだ続くんでしょうけれども3つぐらい川上哲治っていうようなね出世魚っていうのかな。 スタイリングが変わってるっていうのを見ながら日本史で大げさに言えば「坂の上の雲」から残った日本人のサンプリングとしての川上さんを通してね背筋が一本入っていったっていう感じが、あとになってああ、そうだったんだっていう…気が付きましたね。

しかし、長年指導者として選手たちに接してきた川上さん。 引退後川上さんが力を注いだのは少年たちに「正しい野球」を教えることでした。 おお、ナイスバッティング。 川上さんは現役時代のユニフォームやトロフィーを寄贈。 素顔の川上さんは、杉下さん例えばゴルフをやるときも本当に負けず嫌いだったんじゃないですか?そうですね、丁寧でした。 ただ、今回の訃報に接してびっくりしたのは若い方々がね川上さんの、このすごい記録を知らなかったりするんですよ最近。 これから日本人は川上さんを語り継いでいくね川上野球、それから人柄。