私たちを案内してくれたのはヤップ島で ダイビングショップを営む…ヤップ島に移り住んで 20年になる。 ヤップの人は 土木建築に優秀でミクロネシアでは有名な人だったみたいです。 それで ヤップの村の中っていうか人のテリトリーに入る時はもう 私たちはこの村の人間じゃないので。 ヤップ人でも 自分のテリトリーの外に出て誰かの縄張り… 縄張りですよ。 比較的 もうヤップ人の中でも 古手の縄文人ですよ 日本的に言うと。
撮影が 写真で撮ったりこういうムービーのカメラで撮ったりが禁止されてるという事なんですけどそれは どうして撮影が できないんでしょうか?大切な石貨を侮辱された村の人々は石貨と私たちが使っているお金とは全く違うものに思えてきた。 ルエチュグラッドさんはこの石貨を 父から譲り受けた。 ルエチュグラッドさんの兄弟が結婚するにあたりアメリカドルのような いわゆる キャッシュとこの石貨の違いというのは何なんでしょう?石貨が 争いをなくし人々に平和をもたらすとはどういう事だろう…。
今から およそ100年前ヤップの人々によって開削された…ここに 日本が統治していた時代の痕跡が残る 一つの石貨がある。 「たがれん水道」と彫られたこの石貨はもともと 水路と橋の建設に関わった島の人々へ感謝の証しとしてヤップの長老たちから贈られたものだった。 それで もし戦争中に文字が彫られたという彼の記憶が確かならば石貨に文字を彫ったのは1944年に ヤップに駐屯した 日本の軍隊の可能性が強くなるんです。