江戸・吉原の 特に格の高い遊女の事を 「花魁」と申します。 花魁が お供の者を従えて遊郭を練り歩く花魁道中はそして 髪には簪が20本近く挿さっておりましてそれら 総重量20kg。 これらを まとって歩くわけですから花魁って 本当に大変!今も人気の花魁ですが江戸時代の彼女たちの評判たるや想像を絶するほど!この絵を ご覧下さい。 今宵は江戸・吉原花魁の真実に迫ります。 吉原を訪れた客は最初に この茶屋で花魁を紹介してもらいます。
複雑化する遊女の髪型は女髪結という専門職を生む事になります。 近年は システムとしての吉原遊郭を研究しています。 そして 新造から花魁へと昇格しデビューした遊女です。 次に注目したのは 花魁七里の着物にあしらわれた…この絵は 七里が育てた妹女郎の花魁デビューを記念するものだったのです。 浮世絵師 喜多川歌麿でした。 実は当時 多様な身分の人々が一同に会する事自体奇跡的な事でした。 中でも 改革で打撃を受けた吉原の遊女を描く時歌麿の筆は さえ渡りました。
江戸・吉原は 遊女たちそれぞれの魅力だけではなく空間としても 人々の心を捉えるさまざまな工夫が凝らされていました。 江戸時代の災害で亡くなった人や特に 吉原で死を迎えた遊女が庶民から大名まで憧れを寄せた江戸・吉原。 実は 江戸・吉原の遊女たち個々の確かな記録は 残っていません。 吉原は 度重なる火事に見舞われ江戸時代だけでも19回 全焼した事も一因とされています。 また 幕末幕府老中が ひそかに集めた江戸市中のさまざまな事件の報告書にも遊女の姿がありました。