歴史秘話ヒストリア▽名作選 花魁(おいらん)の真実~江戸・吉原遊郭の光と影

戻る
【スポンサーリンク】

02:23:39▶

この番組のまとめ

江戸・吉原の 特に格の高い遊女の事を 「花魁」と申します。 花魁が お供の者を従えて遊郭を練り歩く花魁道中は吉原の名物で ございました。 これらを まとって歩くわけですから花魁って 本当に大変!今も人気の花魁ですが江戸時代の彼女たちの評判たるや想像を絶するほど!この絵を ご覧下さい。 今宵は江戸・吉原花魁の真実に迫ります。 そして茶屋は客の 人と形を見極めて客に見合う花魁を紹介するのです。 客は 2階に通され「引付部屋」と呼ばれる宴会場で花魁を待ちます。

花魁をはじめ 吉原の遊女は一般に 27歳で勤めを終える事になっていました。 続く 番頭新造は花魁を補佐するベテラン遊女。 姉女郎である花魁 七里の一字と桔梗紋という シンボルマークを受け継いだ 妹女郎たち。 そんな遊女の魅力を余すところなく描き出したのが浮世絵師 喜多川歌麿でした。 史上空前の浮世絵師の陰に遊女あり?歌麿と吉原の意外な関係の物語です。 狂歌絵本とは歌麿の才能は吉原で 大きく花開きました。 江戸を覆った閉塞感を打破したのが歌麿の美人浮世絵でした。

江戸・吉原は 遊女たちそれぞれの魅力だけではなく空間としても 人々の心を捉えるさまざまな工夫が凝らされていました。 江戸時代の災害で亡くなった人や特に 吉原で死を迎えた遊女が投げ込まれるように葬られた事から「投げ込み寺」とも言われます。 供養塔に記された言葉は…実は 江戸・吉原の遊女たち個々の確かな記録は 残っていません。 こういうところからいくと…調査を進めると 江戸時代後期の幕府の裁判記録にも遊女が登場している事が分かりました。