ファミリーヒストリー「上地雄輔~柔と剛 2人の祖父の壮絶人生〜」

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この番組のまとめ

その怒りは どこに向かったのか?浮かび上がってきたのは激動の時代を生きた 2人の祖父の…この日 上地雄輔さんは 祖父の壮絶な人生を初めて知る事になる。 鬼のじいちゃんの本名は…島に多い名字が いつ 「上地」に変わったのでしょうか?上地家の戸籍では雄輔さんから5代前まで遡る事ができます。 「白川氏系図家譜支流」になります。 古い士族の流れをくむ 上地家の長男として宮古島に生まれました。 10代で 大阪に出稼ぎに出た恵祐は金を稼いだと言って 父を呼び大阪見物をさせています。

それは それは 沖縄の人間は戦場でも差別された 軍隊で差別されたと言ってましたからそれが彼の人格の中で ものすごく敵がい心と言うんですかバカにする人間だとか日本人に対する… 日本人という言い方 おかしいんですけどそれは ありましたから…。 敗色が濃厚になった日本軍は連合軍を食い止めるため熱帯の島 ニューギニアの戦場は地獄でした。 一歩 ジャングルに踏み込めば食料を見つけられないまま密林をさまよいマラリアや赤痢に倒れ次々と餓死していきました。 恵祐が マラリアで寝込んでいる間に部隊は全滅。

雄輔さんの母も 父 義雄から謎めいた写真の話を聞いています。 義雄が 実の母ではないかと疑ったその写真はアルバムから姿を消しました。 雄輔さんの もう一人の祖父山守義雄の物語は船の扱いにたけた引き船の名手として安治川の水運業者 丸正海運に雇われていました。 ところが 大正11年長男 義雄が生まれると夫婦はがらりと生活を変えます。 中学に通う義雄のため品太郎は 長屋を借りました。 大野丸が湾を出ている間いつ帰るか分からない両親を待って 義雄は一人で眠りました。

戦後の宮古島は荒廃していました。 アメリカの軍政下に置かれた宮古島から戦後は 湿地帯にバラックが並んでいました。 宮古島は…宮古島は ちょっと離島やからねあんまり いないね。 工場の入り口に でっかい看板従業員採用の看板があったんですけどもその中にただし書きが あるんですよ。 「ただし 沖縄人と朝鮮人お断り」とか宮古とか離島の人は特に 差別 大きかったです。 この尼崎には 宮古島の人がたくさん おるんですけどね誰かを頼ってきてこの人も 誰かを頼ってきてこうして一つのグループみたいな感じで。