NHKアーカイブス「司馬遼太郎からのメッセージ」

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この番組のまとめ

創作活動の原点は戦争体験でした学徒出陣で徴兵され戦争と軍隊の理不尽さを目の当たりにした 司馬さん。 今日の「NHKアーカイブス」は司馬さんの生涯をたどったドキュメンタリー番組を通して司馬さんが残したメッセージを読み解きます今年は 司馬太郎さんの生誕90年にあたります。 つきあう人が みんなその第1回では司馬さんの著作や発言そして ゆかりの方々のお話を基にしまして歴史小説家としての原点を探りました。 昭和35年 司馬太郎は同人誌「近代説話」に載せた小説を改題した「梟の城」で直木賞を受賞した。

これは ジャンセンさんが言っている言葉でもありますけれども坂本竜馬が 国民的な英雄となっていく過程は日本近代というものの国家主義の発展を照らし出す格好の材料だ 一例であるという言い方をしてますが司馬さんは 竜馬という人間をそこに捉える事によって初めてというか自分自身の思いというものをそれは 戦争から復員して言ってみれば文学への復員だった訳ですが22歳にして この小説のあれに出発するというこの思いというのは竜馬を描く事によって戦中体験として周りの若い人たちが可能性を秘めた人たちが どんどん倒れていった訳です

昔は違ったろうというのが…明治の人は違ったろう あるいは江戸時代の人は違ったろう少なくとも 明治の人は違ったろうと思う事が過去への関心になってそこが 出発点になってしまったんですけども明治というのを明治時代じゃなくてそして 風俗や政治を語るんじゃなくて明治国家という建物というか 個体というかそれを お話しして。

世界の規模つまり 外交感覚だけでなくて経済とか 人の心とかそれは 戦後の 私自身のどう言いますか日本への失望 落胆日本の近代の お粗末さへの失望と重なるものでありますが戦略というだけをテーマにして小説ができるでしょうか。 その勝利の勘定書きが太平洋戦争の大敗北として回ってきたのは歴史の持つ 極めて単純な意味での因果律といっていい」。 日露戦争の勝利から日本人の事実への認識の甘さが始まったと考えた司馬は自分が 満州で聞いたノモンハンの悲惨な敗北と宣伝された勝利とのギャップに目を向ける。

この間 亡くなった方で最後は 陸軍中将になってた人がノモンハンの時の作戦課長でした。 そして ノモンハンの事を巧みに外していらっしゃってノモンハンの事を また聞きますと何だか官僚的な答弁が出るだけでそれだけが非常に面白かったです。 司馬家の書庫にはついに 司馬太郎の書いた「ノモンハン戦記」が並ぶ事はなかった。 空港だかに向かう途中にその編集者の方が「ノモンハン よろしくお願いします」とおっしゃったら「ノモンハン書いたら俺 死んじゃうよ」って言ったんですよね。

これは 有名な話ですが神田の古本屋街からノモンハンに関する資料がノモンハンに関する資料というのはノモンハンの事変だけの戦争じゃなくてソビエト側のソ連という国は どういう国かというような資料を含めてトラック3台 バ~ッとお買いになっていっちゃって…。 だから しばらくの間神田の古本屋街からソ連関係 それから ノモンハン関係昭和14年ごろの日本関係の書物が一冊も無くなったという話ですからね。 ノモンハン事変を取り上げる事によって日本の いわゆる 近代日本のだから それで やるんだというふうに聞きまして。

という事は 要するにちょっとの そういう無からそれは ホントに ご自身の体力そして 精神力も含めてご自身は 昭和史を書く事は関係者が 血を流す事だ。 司馬太郎は日本人への 残された希望を未来に生きる子どもたちに託した。 ご自身で書かれた この「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章が 子どもの中に吸い込まれていくんじゃないかという事でそれで 恐ろしくて恐ろしくてという言葉もおっしゃってられましたね。 「『二十一世紀に生きる君たちへ』司馬太郎」。

自然物としての人間は決して 孤立して生きられるようにはつくられていない。 それは 何ですかと言ったら自然を これ以上壊さないという事だけは合意しようじゃないかというのが 最後なんですね。 まだ 間に合うから自然を これ以上壊さないという事にしようじゃないかというのだけは合意できるって言うんですよ。 だけど 司馬さん そういう事を仮に 合意するという事は日本人は これ以上ぜいたくは しない。 つまり 欲望というものを全部 日本人は ここで一遍 停止しろという事に等しいんですよと。