BS歴史館「新島八重 逆境に生きるサムライ・ウーマン」

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この番組のまとめ

八重さんが髪を切ったっていうのもこれは 男でさえも髷は切らない訳ですから女の命なんていってる髪を切ってですねお城に入っていくという事になるとここにおいては…新島八重のふるさと…幕末 消えゆく徳川幕府に忠節を尽くし明治新政府に最後まで抵抗した悲劇の会津藩。

大体 戊辰戦争っていうと白虎隊の悲劇とか女でありながら 娘子軍を結成して新政府軍と戦ったとかこういう事が語りぐさになってるんですけど私 実際 調べて…そこに この八重みたいなのがいたっていうねもう ホントに驚きでした。 しかし 通説では新政府軍の近代兵器に対し「大河ドラマ」でご存じのように山本家は代々 会津藩の砲術師範役を務め藩校 日新館で教えていました。 黒船来航の時海上警備に当たっていたのも会津藩でした。 国防の第一線というか 日本の…会津藩の先進性の中にありました。

藩主 松平容保は八重を召し出し砲撃への対策を相談。 新政府軍は 処分が決まるまで生き残りの会津藩士を猪苗代へ連行。 殿様を守る事ができなかった…客観的に見ると 会津戦争が八重を育てたというんでしょうか人間的に非常に育てた面というのは。 この 八重の場合には…なかなか史料がない中の一次史料でこういう言葉が八重の言葉として出てきます。 それを認めた 西郷隆盛や岩倉具視ら政府要人は覚馬は京都の復興に まい進します。 京都に来た八重は 覚馬の目となり足となって協力します。

もう 豪商も政府も全てが 東京に移ってもう もぬけの殻になって西陣なんかもう ホントに 壊滅的な打撃を受けてた時なんで八重さんの再生と 京都の復興が同じ感じでいったというのが非常に よく分かりますよね。 いわゆるこの非常に実益のある聞くべしというその意見を売るっていう感じで…だから 八重にとっての京都っていうのはね…京都に来てからは ホントに また…あの保守的な京都人のどぎもを抜かしていく 八重が表れてくる訳ですよ。

八重もまた 周囲の目を気にせず洗礼を受け クリスチャンになりました。 まあ 新島 襄さんも お嫁さんを日本人でとは思いながらプロテスタントであるという事で嫁取りができる状況ではこの日本の中ではこの時代 ないですもんね。 クリスチャンっていうのは 日本で長い歴史を振り返ってみてもず~っと マイノリティ−であり続けてますからね。 負けた武士たちが精神のよりどころにしてったのがプロテスタントっていうのは すごくよく分かるような気がします。

八重は 会津のジャンヌ・ダルクから京都のモダンレディーに大変身しました。 八重と対立する急先鋒は徳富蘇峰。 これが 徳富蘇峰が 鵺と呼んだ八重の姿です。 同志社女子大学の吉海直人さんは八重の変身ぶりをこう解釈します。