映画が北の町を、熱くした~大林宣彦・20年目の約束〜

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この番組のまとめ

全員 集合~!1 2 3 はい!「野のなななのか」!映画の製作には北海道芦別の人たちが町を挙げて参加しました。 それは 大林監督と映画を愛する1人の青年が20年前に交わした ある約束から始まっていました。 この映画は大林監督と芦別市民の自主製作。 映画作りの発端となった大林監督と鈴木評詞さんの約束。

2年目 3年目くらいかな…しかし 映画学校が軌道に乗り始めた 1997年評詞さんは 病に倒れます。 芦別映画製作委員会の事務局長を務める…これ 私が 委員長でまだ 髪がありましたね。 評詞さんが始めた映画学校の初代実行委員長でした。 評詞さんは 大林監督に芦別の事をもっと 知ってもらおうとこんな物まで 作っていました。 このマップを手に 監督を芦別の魅力あふれる人たちに評詞さんの情熱は亡くなったあともこの日 大西さんが向かったのは地元の老人会。 鈴木評詞君君の夢が 今日 かなうぞ。

大林監督は あえて芦別の負の歴史を描きます。 撮影を見守っていた映画製作委員会のボランティアたちは…。 かつての炭鉱住宅を使って戦時中の芦別のシーンを撮影します。 石炭の町 芦別では 多くの人が炭鉱のある樺太へ赴きました。 どんなだったんですか?よい事も悪い事も芦別に蓄積された記憶を映画に託し 残していく。 大西さんは 芦別で100年近く続く建築資材店の4代目。 この日は芦別駅のホームでの撮影です。 役は 芦別駅の駅長。 サンドイッチは見える?この日の撮影は 登場人物たちの新たな出発が描かれる重要な場面。