歴史秘話ヒストリア「戦国 美の革命~異色の武将・古田織部の生涯」

戻る
【スポンサーリンク】
22:30:12▶

この番組のまとめ

この「織部」という名前の由来と言われているのが見る人を驚かせ 楽しませる常識破りの織部焼。 古田織部が秘めた真意とは何だったのでしょう?壊してから 作り上げる。 古田織部本名は 古田重然。 城の主の一族として生まれた事は分かっていますが織部が 20代前半の頃その美濃に織田信長が やって来ます。 美濃を拠点に 天下統一を目指す信長との出会いが織部の人生を 大きく変えます。 とはいえ 若き武将 古田織部が得意とした任務は…?使番。 そんな織部好みの評価について京都で行われた織部の茶会の記録が残っています。

そんな常識を破って登場した織部焼。 織部焼は 現代美術のようなアバンギャルド 前衛的なデザインです。 それでは この織部焼は誰が どうやって生み出したのか。 発掘を始めたところ大量の織部焼が見つかったのです。 この窯は連房式登窯と申しまして製品を詰めて焼く部屋を 階段状に何段も連ねた窯になります。 14個の小さな窯が連結し長さ20mにも及ぶ 連房式登窯。 織部焼の多くが この登窯で作られた事が分かりました。 唐津にも 美濃のものと よく似た連房式登窯が残っています。

織部焼を介して 交流していた事を示す証拠を見せて頂きました。 織部焼の産地は 美濃。 つまり織部焼は京都などの商人がデザインをプロデュースし唐津からの技術を使って美濃で作られたのではないかと考えられるのです。 ところで織部焼の斬新なデザインは織部焼が プロデュースされた地と考えられる京都では古田織部は文化人のリーダー的存在でした。 古田織部は 織部焼誕生にかかわる3か所 全てに縁があるのです。 古田織部と織部焼を直接つなぐ証拠は 見つかっていません。