ゆうどきネットワーク▽女優の小山明子さんに、大島渚監督との波乱の人生を伺う。

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この番組のまとめ

外国の映画女優のドレスに憧れデザイナーを目指していました。 やっぱり結婚に至る決め手になったのが手紙の文面だったとか?手紙の文面ではないけど誰よりも先にあなたに喜んでいただきたくて、お知らせします指導されましたが結婚してから大島の映画に出たときは一度もないですね。 大島さんとおつきあいをなさって女優としてやっていけるということの手助け支えにはなったんですか?どうでしょう。

私は女優で芸者ではありませんと言ってその席を断って撮影中有名になったんです。 大島さんというと結構民放の番組ですがちょっと怖いのかなと思っていました。 うちはサラリーマンの家庭でしたから父がサラリーマン旅先で、大島監督が脳出血で倒れました。 大島監督は入院から3か月後に退院。 大島監督が映画「御法度」の撮影を始めたころです。 ある女性が私に奥さん、あそこにいるのは大島渚よと言ったんです。 友達もいないし自分で献立をして大島の世話をしているくらいですね。

一度お話があって瀬戸内寂聴さんの朗読のお話をいただいて博品館劇場で源氏物語の朗読をしました。 今でももちろん尊敬していますが彼がうちの息子たちにパパがいちばんと言い続けてパパよりすばらしい人間はいないと言い続けました、息子たちは一人前になったら偉いねと言ってあげようかと思ったんですが今でも大島はいちばんだと思っています。

今は朗読のお話とか三島由紀夫さんのお話をいただいているんですけれど今まで自分がやらなかったことをやってみたいし彼女に憧れ、ジャンプを始める子どもたちが増えています。 スキーの名所、山形県蔵王で初めてのジャンプに挑む少女を取材しました。 1人が、女子スキージャンプ高梨沙羅選手です。 ここでは20年ほど前から地元の小学生を対象にジャンプ教室を開いてきました。 競技用ジャンプ台の脇にある高さ8mのジャンプ台で子どもたちは練習します。