未来への手紙2014~あれから3年たちました〜

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この番組のまとめ

子供たちの環境や 心のありようはどう変わったのか?6通のビデオレターを通して被災地の 「いま」を見つめた。 福島県いわき市の学夫くんは震災当時 小学6年生。 あのサッカー選手に宛ててビデオレターを作った。 学夫くんが生まれ育ったいわき市小名浜は津波で 港湾施設が全滅。 学夫くんのビデオレターは 震災の半年後中学1年の秋に作ったもの。 「3月11日の震災以来 サッカーの事がいろいろ変わりました」。 3年ぶりに ビデオレターのグラウンドを訪ねた。

「奇跡の一本松」と言われた。 じゃ~ん 荒町復興!陸前高田市の町が 復興。 美穂ちゃんは どうですか?「荒町復興」って書いてくれたじゃない。 まあ 小さい時だからバカみたいな事 言ってたけど…「震災前の家は 部屋がたくさんあって 広いし周りは 寺 店 床屋友達の家などが同級生の友達が たくさんいる所に住みたいです。 ♪「”ありがとう”って伝えたくてあなたを」美紀ちゃんが暮らしていた閖上は在宅者のほぼ5人に1人およそ 800人が津波の犠牲になった。

もともとは 体育館なのですがシオミダイ小学校が使えないため今は この体育館で勉強しています。 なんで 東京の人の電気を福島県でつくっていて東京の人は放射能 放射能と言って福島県の人から逃げるんですか?そんなに安全だ 安全だって言うんだったら東京に建てればいいじゃないですか。 小学校の時に原発の人たちが学校に来て…住んでいた家の周囲は年間 20ミリシーベルトを超えるホットスポットになり帰宅を断念した。 震災の翌年 家族でディズニーランドに行った事で東京の人たちへの認識が変わったという。

カメラが好きな哲也くんは今も生まれ育った大川地区を定期的に訪れ復興の進み具合を映像に収めている。 大川小学校の児童たちは108名のうち…避難誘導が適切だったかどうか今も 遺族と学校側で問題になっている。 思い出を壊される感じがして自分的には嫌なんですけどもし 壊されてしまった時にやっぱり 映像だったり写真だったりで津波が どのくらい怖ろしいものでというのを伝えていきたい。