震災から3年 特集 明日へ−支えあおう−

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この番組のまとめ

東日本大震災から3年。 東日本大震災からあさってで3年です。 地震発生直後、宮城県の海沿いに向かったNHKのヘリコプター。 震災発生から1年後。 震災発生直後の映像には、震災発生から1年の春。 震災前、山田湾には4000台近くのカキの養殖いかだが広がっていました。 震災発生から2か月。 カキを出荷するまでには、震災発生から半年。 震災前の5分の1にまで回復しました。 さらに震災発生から2年半。 いかだの数は、震災前の6割近い2200台まで回復していました。 震災発生から7か月。

そうするとやっぱり、この難しい現実に向き合って、一体これからどうすればいいかっていう、希望が、ひょっとすると失望に変わっちゃうんじゃないかなっていう気がす本当に柳澤さん、おっしゃったみたいに、被災されてすぐのときって皆さん、本当に、とにかく前向きに自分たちが頑張るんだっていう気持ち、すごく強かったと思うんですけど、気仙沼に何度か伺っている間に、いろんな方にお話伺うと、もう私たち本当に頑張ってきたから、もう頑張れないんですっていう、だから本当にもう希望、私、言いましたけれども、人の力もありますけども、やっぱ

データとか、情報じゃない、震災直後のスケッチブックには、日用品にも事欠く切実な声が記されていました。 時を追うごとに、スケッチブックのことばは、多様化していきます。 震災直後は本当に家族や、それから自宅、財産を失った悲しみっていうのが、スケッチブックとVTRを見返す中で、重松さんの印象に強く残った人がいます。

この一文字をね、書くまでの間に、何十分もかかったんですよ。 ずっとね、真っ白なスケッチブックをね、にらみつけながらね、本当に絞り出したことばだと思うんですね。 この志を自分が持って、これからローンを背負いながら、頑張っていくんだっていう、だから夢の代わりに、その志を持つこのなんだろうね、一つの覚悟というものを書いてくれたんだと思います。 本当にいろいろなことばがありましてね、岩手県陸前高田市。 津波で壊滅的な被害を受けた町では、復興事業が本格化しています。

宮城県名取市の閖上中学校。 閖上中学校の1年生だった息子のこうたくんを亡くしました。

今、盛岡市で開かれています津波などで失われたふるさとを、模型でよみがえらせようという、ふるさとの記憶展の会場から、生放送でお伝えしています。 被災地ではかつての町並を模型で復元しその記憶を保存するプロジェクトが進められています。 津波によって1600近い家々が失われた岩手県宮古市田老地区です。 津波のショックでその記憶を失いました。 これはひときわ大きな模型ですが、陸前高田ですね。

この模型はそういう陸前高田の方々が思い出し、色を付け、旗を立ててこられたものなんですね。 ふるさとの記憶、陸前高田の物語をこれからご覧いただきます。 町のシンボル、高田松原。 高田松原の松ぼっくりを模した照明灯も建てられました。 陸前高田で行われたプロジェクト。 実際に模型を作った学生が興味深いことを言ってまして、このプロジェクトの意味は、言ってた学生さんがいる。 さて、東日本大震災で被災をしましたのは、ご覧をいただいている岩手、それから宮城、福島だけではございません。

茨城県では福島の原発事故の影響が漁業と農業で続いています。 一方、茨城県を代表するシイタケの産地でも苦境が続いています。 しかし、店にある乾シイタケは、全て他県産です。 それ以後全体の3割にあたる20軒のシイタケ農家が廃業しました。 肉厚で香りが高いシイタケをPRするために新たな取り組みを始めました。 震災で大きな被害を受けた青森県八戸市。 観光客の数も震災前の99%まで回復しました。 さて、きょうののど自慢ですけれども、その被災地の一つ、青森県の八戸からの番組なんです。

やっぱりVTRでもおっしゃってたように、数字だけで復興を計ってくれるなっていうのが、私たちもやっぱり東京に住んでいますと、新聞やニュースでその数字を目安にしてしまいがちなんですけれども、やっぱり皆さん個々に進み方が違って、本当に時間の流れが違う、状況も違うということをやっぱりこうやって、いま一度、見て、触れて、感じるっていうことがすごく大事だなって、きょう本当に思っています。