震災から3年 特集 明日へ−支えあおう−

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この番組のまとめ

ラジコンヘリを使って、避難区域の状況を詳しく撮影しました。 福島第一原発のある大熊町。 かつては、原発事故によって、住民たちは慌しい避難を余儀なくされました。 福島第一原発から北に6キロ。 本当に、なんか、今、特に原発事故の影響がある所を見てると、VTRのコメントでは、止まったようなっていうフレーズがありましたけれども、一人一人こういう数字で言うんじゃなくて、お一人お一人名前を言って、なんか、声をおかけしたいって気持ちになりますよね、本当に。

今回、重松さんは全村避難を続け飯舘村の隣、ここには飯舘村の3つの小学校が集まっています。 3年生まで飯舘村で過ごし、春夏秋冬、春夏秋冬で、いつが一番いいですか?お勧めですか?って質問されたら、佐藤君はいつがいい?冬ですね。 学校が終わったらすぐバスに乗って、1時間も揺られて帰る、で、うちに帰ったらもう真っ暗になってるし、こういう集合住宅で、寄り道をすることもできないし、大きな声を出して、はしゃぎ回ることもなかなかできない毎日を過ごしてるから、中学校に入ったら、思いっきり遊ぶんだ、部活をするんだっていうね。

おっしゃるとおりだと思いまそのときにね、やっぱりお父さん、お母さんが、子どものために考えて、決めたことをね、責めたりするんじゃなくて、みんなでバックアップする気持ちを持たないと、恐らくね、お父さんやお母さんの不安っていうものが、そして、大人たちも、なかなか将来の見通しが見通せない中でも、日々をふんばって過ごしていらっしゃる方が、大勢います。 次にご覧いただきますのは、福島第一原子力発電所の南にあります富岡町の取り組みです。

もうちょっと先に行くと面白いっていうかね…ものが見えますけど今も立ち入りが禁止されている帰還困難区域の境界線。 これはどう受け止めたらいいですか?線量が高くて、立ち入りすら厳しく制限されている帰還困難区域というのもあるんですけど、それ以外の所では、戻れるような、いわゆる除染作業というのをやってるんですよ。

町民全員が今も避難生活を送る浪江町です。 浪江町の皆さんも、困難な判断を迫られています。 東京電力福島第一原子力発電所から10キロほどの場所にある福島県浪江町です。 浪江町に生まれ育った橋本由利子さんです。 浪江町には、住民が一時的に立ち入ることが可能です。 青田さんは、浪江町に戻れる日が来ることを待ち望んでいるといいます。 浪江町は除染や上下水道などの修理を進めています。 浪江町の住民は、北海道、関東、九州、そして沖縄まで、全国各地に散らばって避難生活を送っています。

日本海側や太平洋側の山沿いなどがあすにかけて雪が降り続く見込みで、あすの朝までの…。 町で介護施設などを運営していた、川村博さんです。 去年4月、川村さんは、この場所で再び農業を始めました。 住民の早期帰還を目指す避難指示解除準備区域となったことで、再開が可能になりました。 育てても、白いまま模型に残された川村さんの農場。

そして震災後亡くなられた、いわゆる震災関連死の方を含めますと、東日本大震災の犠牲者は2万1000人を超えます。 この海でワカメの養殖を営んできた遠藤美恵子さんと清喜さんの夫婦。 未希さんが放送していた、町の防災対策庁舎。 避難所は、その中に遠藤清喜さんと美恵子さんの姿がありました。 私たちが入手した津波の映像の中に、未希さんの声がはっきりと記録されていることが分かりました。 いざというとき、防災対策庁舎に駆けつけられるよう、自宅に準備していた危機管理課のジャンパー。

専門学校を卒業した未希さん。 2階まで津波につかった遠藤家にも大勢のボランティアが訪れ、がれきの片づけや、家の修復などを手伝っていました。 この日、美恵子さんは手伝ってくれるボランティアたちをねぎらおうと、炊き出しをすることにしました。 そして美恵子さんは、これまで決して自分から話したことがなかった、娘への思いを語り始めました。

そして周りには、南さん、今どういうことが求められていると思いますか?遠藤未希さんのご両親は、本当に、この時間をかけて、本当は、本音を言えば、いうことが、共感するっていうこと、私、すごく今、VTR見て感じましたし、お母さんが生きていこうって、そう思ったことだけでも、未希さん本当に、喜んでらっしゃるだろうし、もうそれは、この話をしてくださっただけでも、私たちはとても共感します。

本居さんが経営するこちらの工場は大手電気メーカーの下請けで新幹線などで使うモーターを作っています。 岩手県大槌町。 高校2年生の釜石望鈴さんも1年ぶりの再会です。 さらに、ある印刷会社が写真集にまとめ、無料で1000冊提供してくれたのです。 高校2年の釜石と申しますけどこちらの店に望鈴さん自身は、去年よりも、明るくたくましくなっている姿はとてもうれしかった宮城県の19歳の女性です。

それは高校生が、町づくりの企画を考えるというプロジェクト。 町づくりを考えるポイントとして挙がったのは、卒業後の進路でしでは、自分が住み続けたくなる町って、どんな町?お年寄りに思いを巡らせている班がありました。 笑海さんは、おばあちゃんたちの運動不足を解消したいと考えています。 お年寄りの運動不足を気にかけていた古舘笑海さんは、グループのメンバーと、あるアイデアを思いついていました。 お年寄りも含め、町民みんなが参加できる大槌大運動会です。

さらに、改定される復興計画の中にも、生徒たちがプレゼンした考え方が反映されています。 公務員就職、一発合格目指して、頑張ります。 とにかくこう、分からなかったことを学んで、学んでみると、自分の意見が、方向が見えて、それでこうしたい、ああしたいって、すっごい自分の意見をはっきりああいう場で言える高校生たち、もうすばらしいし、大運動会なんて、本当にすぐできるアイデアが、たくさんあったり。

さあ、被災地の未来、これからどうするのか、若者たちの声に耳を傾けて、考えてきました。 実は、このあとの4時からのEテレでも、その復興について、若者たちが本音で意見をぶつけ合う番組、東北発・未来塾が生放送であります。 サンドウィッチマンさん。 東北発・未来塾、応援団長のサンドウィッチマンです。 宮城県出身の僕ら、そして震災から3年ですね、東北の若者たちと一体何ができるのか、4時からのEテレ生放送で考えていきます。