あさイチ「10代が見つめてきた震災3年 それぞれの春」

戻る
【スポンサーリンク】
09:12:20▶

この番組のまとめ

卒業式に臨んだ被災地の高校生です。 卒業式の直前に被災。 今ちょうど卒業式を迎えている子どもたちもたくさんいると思いますが、まさに3年前の卒業シーズンのさなかに起きたのが東日本大震災です。 被災地に関わらずちょうど卒業式も終わってお休みの10代の方もいると思いますので、この3年どんなふうに過ごしてどんなふうに思っているのかをお寄せいただきたいと思いますもちろん大人の皆さんも震災から1年前から全国各地で語りべをしている祐梨さん。

2年生の夏被災地の高校生を対象としたアメリカでのホームステイに参加したのです。 卒業後、奨学金を受けて静岡の大学への進学が決まっている祐梨さん。 祐梨さんはこのあと大学で学んだあと、地元に戻って恩師のように子どもたちに英語やそれを使って、コミュニケーションする楽しさを伝えたいと言っていました。 最新の文部科学省の調査では小・中学生と高校生の不登校の数2011年度は2000人に満たなかったものが2012年度には、2152人。

原発のある福島県大熊町から会津若松市に避難してきました。 まちるさんが住む会津若松市には大熊町からおよそ2500人が避難しています。 当時、小学校5年生だった妹の真緒さんも周囲の目を気にしていました。 自分のような避難生活を送っていないクラスメートたち。 毎日を楽しんでいるクラスメートにまちるさんは、自分の気持ちを話せなくなります。 当時息子は小学校1年生で、学校支援がありません被災地にいる人たちだけが被災者、ではありません。

ふさぎ込んでしまうタイプの子とそうした生徒を支援するために事業として国は宮城県の岩手県、福島県にスクールカウンセラーが派遣されています。 震災で心に傷を負った10代と向き合うある高校のスクールカウンセラーを取材しました。 この高校のスクールカウンセラー佐藤秀明さん。 卒業式のあとに行われた高校生活最後の面談。

理化学研究所などのグループが発表したSTAP細胞の論文に、不自然な点があるという指摘が相次いでいることを巡り、論文の共同著者が所属するアメリカのハーバード大学医学部は、いかなる懸念も精査するとして、事実関係の調査を進めていることを明らかにしました。

震災前は都会に憧れていて地元が好きではなかったですが、震災後は地元が大好きになり時間があれば帰省しています、今就職を考える時期になり迷わず地元での就職を目指しています。 看護師、介護福祉士の学校の講師ですということです。 埼玉県で看護師、介護福祉士になる学校の講師をやっています。 この2年前、学生数が減少するなか東北の学生数が増えてきています、震災のとき何もできなかったことを考えて、資格を取って誰かの役に立ちたい学生がほとんどです、やる気があり人の痛みが分かりとてもよい看護師、介護福祉士になると思います。

ことしは石巻からスタートしました太平洋沿岸部を南に下り福島県に入りました。 南相馬市からは内陸に入り福島市そして二本松市と前回はお伝えしてきました。 今、仮設住宅で住民と行政の間に立つ連絡員の仕事をしています。 震災前は、福島第一原発で配管の仕事をしていました。 渡辺さんは3年前、滝桜の下で絶対に富岡町に帰るんだと決意されていました。 でも今3年間、三春町で過ごしてが、しかし三春にこれから根を生やすとおっしゃったときの渡辺さんの表情はどこかすがすがしい印象を受けたんですね。

しかし去年、週1回の試験操業が始まったのです。 しかし、残念ながらこの日、試験操業は中止。 震災前、小名浜港では100種類以上の魚が水揚げされていました。 そのころの活気には及ばないが試験操業は大切な一歩だと志賀さんは感じています。 もともとは100種類以上が、水揚げされている小名浜の港、今は3年かけて現在、水揚げして試験操業で取った魚は32種類、3分の1以下です。

お酢を入れるとお肉の肉臭さを消してくれたり保存性も高まるのでいろんな素材に合わせやすくなるんですね。 こんな感じで出来上がりです。 出来上がり?ほぼほぼ出来上がりです。 これを容器に?本来なら粗熱が取れてからですけれども保存容器に入れます。 きょうのテーマは和洋中でジンジャーソースということでお送りします。 今、ジンジャーソースの作り方ベースをそのままにして、ちょっと調味料を変えるだけで和風に中国風になるんだよということでご紹介します。 まずは中国風。

せっかくバリエーションをご紹介したのでその中で中国風のジンジャーソースを使って教えていただきます。 サラダごはん中国風になっています召し上がってみてください。 洋風のものに、ごはんを混ぜてもおいしくて解説委員長なのに食べられないものがいっぱいあるんですね、岐阜県恵那市の主婦たちが古着を再利用してこの日は、大熊町と楢葉町から避難してきた方々が合同で勉強会を開きました。 楢葉町や大熊町は震災から3年たった今も原発事故の影響で帰って暮らすことが許されていません。