いつか来る日のために「証言記録スペシャル まだ先が見えない」

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この番組のまとめ

阪神・淡路大震災の時もちょうど 二番底といって震災後 3年目から4年目にかけて不安感や うつ病や高橋さんは宮城県のご出身ですよね。 震災直後から支援物資を運んだり被災地でコンサート活動をされていますよね。 岩手県釜石市の…震災の日 家族と経営する魚の干物工場で津波に襲われました。 震災後 雁部さんは手を尽くしてなんとか 国の公庫から3,000万円の融資を取り付けました。 水産加工業では 魚を冷凍保存する金属製の箱など10万円以下の資材が多いのです。

この数字が一見 多いように思うんですがこの中には 人手不足や震災の土地計画による立ち退きを迫られていたり売り上げがいまだ 少なかったりと大きな問題を抱えている事業所もあります。 大きな揺れに襲われたあと渡邊さんと祖父母は津波の事が心配になり避難場所になっている裏山に避難します。 震災後 渡邊さんは津波にのまれた時祖母の手を離してしまった事を悔やみ続けました。 スマトラ島沖地震があったインドネシアのバンダアチェの被災者との交流のため現地を訪れたのです。

親子3人で食堂をされててそれで 今 再建という事は考えてらっしゃらないんですか?しかし 渡辺さんは震災後すぐに店の再建を諦め臨時の事務職として働きだします。 やっぱり また調理場に立つというのは つらかったですか?震災後 渡辺さんは 包丁を持つ事ができませんでした。 渡辺さんは震災後 初めて刺身を作りました。 高橋さん お二人に会っていかがでしたか?やっぱり 僕 被災地に行って必ず これ避けられない現状なんですけどもご家族と その寸前までですね一緒に行動されてた方をどんどん増えていってるという現実と。

福島県飯舘村は深刻な放射能汚染に見舞われました。 飯舘村は今も 全村避難が続いています。 北原さんは従業員が休んでいる間も避難が長引くにつれて 飯舘村では大きな問題が起きています。 2人の子どもがいる北原さん夫婦は飯舘村の除染が終わったとしても帰らないといいます。 飯舘村は 当初 2年で帰村する目標を立てましたがこちらは 飯舘村の皆さんにアンケートをした結果なんですが「除染が終わったら村に戻りたいかどうか」というものです。