画業の ある決算をこの大画面でしてみたいというその後 どのような運命をたどったのか?今夜の「ヒストリア」は世紀の大発見を独占取材。 ♪~18世紀後半喜多川歌麿は美人画の傑作を次々と世に送り江戸浮世絵界の頂点に君臨しました。 その間に 小林さんは歌麿研究の第一人者浅野秀剛さんに専門家も驚いたのは歌麿の群像表現の巧みさでした。 歌麿は 要所要所に人物群を巧妙に配しつつ見る者の視線を誘導します。 例えば 歌麿の肉筆画の名品「芸妓図」。
歌麿は 当時 目新しかった西洋的な遠近法を使いながらアメリカ東部コネティカット州のハートフォード。 歌麿の「雪月花」三部作は流転の果てに制作時期は 最も早く…「吉原の花」は 縦187cm 横257cm。 歌麿は ここで三部作を描いたのでしょうか?江戸時代の栃木は商業の町として にぎわいました。 歌麿は 少なくとも3回栃木を訪れては 大作を描き三部作を完成させたと推定されました。 では なぜ 江戸の絵師 歌麿が栃木と関係を持ったのでしょうか?歌麿の絵本や 版画を調査すると興味深い事実が浮かんできます。
栃木で 歌麿の三部作を所有していたのは 善野家。 「月」を完成させ 歌麿は江戸に意気揚々と戻ったはず。 寛政3年には歌麿の雇い主である版元蔦屋重三郎が財産を半分没収されます。 更に 歌麿と同じ蔦屋専属の作家山東京伝が手鎖50日の刑に処せられました。 さあさあさあさあ歌麿の新作だよ!手紙には何が書かれているのかなぜ 女性は かくも真剣な目つきをしているのか鑑賞者と 描かれた人物の対話が始まります。 江戸で大人気だった3人の娘たちの みずみずしい事!そんな彼女たちの名前を歌麿は 高らかに作品に書き入れました。