NHKアーカイブス「震災3年 過去からのメッセージ~神戸・奥尻・山古志〜」

戻る
【スポンサーリンク】
13:51:25▶

この番組のまとめ

東日本大震災から3年。 避難生活などで亡くなった方を含め2万人余りが犠牲になりました今も 26万人以上が避難生活を強いられています今日の「NHKアーカイブス」では過去の震災を記録した番組から室益輝さんにお越し頂きました。 それは 私は 今 2年目 3年目阪神の時も そうだったんですが仮設住宅から出られないでずっと取り残されている人とその格差とか 考え方の違いをもう一度 手直しをしてやはり その 解消を図っていくような取り組みが必要だというふうに思っています。

被災地で記念写真撮ってるみたいなおっさんに見えたみたいで。 復興計画について 神戸市と地元住民との話し合いがまとまっていない事が原因です。 そうか ここの人たちはあの 仮設住宅に おるんやと。 震災から3年目熊谷さんの姿が 仮設住宅に見られるようになりました。 ボランティアの若者から もらったポスターを大切にしています。 写真には 横尾さんが仮設住宅を出る時にもらった寄せ書きがはっきりと写っています。 この仮設住宅に住む…熊谷さんの撮影に早くから協力してくれました。

震災が変えた仮設住宅での長尾さんの暮らし。 長尾さんは次の新しい生活が始まる時人生の新たなページを熊谷さんに撮ってもらいたいと願っています。 仮設住宅で目にしたいくつかの出来事自分の部屋に閉じ籠もりがちになりこれまで一日も休まなかった学校も三谷さんが なだめながら送り出す日が多くなりました。 三谷さんにとっておよそ40年ぶりの学校生活です。 30歳以上年の離れた若者たちに交じって慣れない パソコンや 英語の授業ついていくのもやっとの思いですがこれまで一日も休まずに通ってきました。

特に 仮設に取り残された人から見ると 焦りだとかあるいは いつになったら自分たちはちゃんと 家が建てるんだろうかという思いが被災者自身を責めたてるようなところが ありますよね。 写真家の熊谷さんが建物の撮影だけではなくて復興の全体図は 見えないという事だと思うんですよね。 そこで 漁業の再興というか再建というふうに取り組まれる訳なので少し 奥尻の復興を見てても我々 教えられたと思うんですね。

地震と津波による死者 行方不明者は奥尻島全体で 198人に上りました。 しかし この仮設住宅に住めるのは役場の復興計画に基づきこの8月までとなっています。 島の高台では役場の復興計画に基づいて新しい町づくりが始まっています。 そのビジョンが膨らんで今の奥尻というのは確かに 人口は減っているんですけどそれまでの人口の減り方ではなくてむしろ 復興を進める事によって人口の減少率が止まっている。 そういう意味で言うと防潮堤について若者が こんな防潮堤がホントに 要ったのかなと実感されていましたよね。

続きましては平成16年の新潟県中越地震の旧山古志村の復興の記録を見ていきたいと思うんですがそれでは ご覧頂きましょう。 旧山古志村で600年続いてきたといわれる闘牛。 3年前の新潟県中越地震で山古志は 壊滅的な被害を受け住民は 避難生活を強いられる事になりました。 山古志の闘牛の まとめ役松井治二さんです。 松井さんたちが暮らす木篭地区は最も深刻な被害を受けた場所の一つでした。 この日 山古志での闘牛に 牛を出場させる親戚が訪ねてきました。