仙台へ移って 夫婦で仮住まい。 山崎節子さん 75歳。 今 遠野の仮設住宅で独り暮らし。 どんな ご主人だったんですか?よそ様から見たらもう最低かもしれないけど私にとっては 世界に一人って…ほんと うん。 山崎さんが描いたふるさとの水墨画。 そのあと 今度 突然自分でも読めないです。 定型に言葉委ねて書く書く 書く。 「間もなく 終点仙台 仙台です」。 「3,267の灯の波紋被災千日の海辺に揺れる」。 石巻市で 3,267のキャンドルをともしたんですね。
「我が家は 小高区にあり今も まだ宿泊が許されない旧警戒区域である。 思い出しますけどう~んこんなんなった一部分であれ私どもがタッチしてたわけですからその当時は 「大丈夫だ 大丈夫だ大丈夫だ」で絶対安心だっていう形で進んでましたけど。 「陽子ちゃん それほんと?ほんとの事 詠んでる?」ってね何で 空っぽ?あの日のままで止まってる…?時間?震災後 夢中で短歌を書き続けた。
福島第一原発がある大熊町で農業を営んでいた。 原発の建設現場で働いた経験もある。 震災の7年前祐禎さんは こう詠んだ。 原発事故から 1年半。 必死こいて 自給自足の生活をしながらですねこうやって2年9か月もいるとどうしても みんな 言いたい事言っちゃうようになるんですよ。 みんな~ いくぞ〜!♪「GOGO OGAWA GO!GOGO OGAWA GO!」♪「上から読んでも下から読んでも」♪「左から読んでも右から読んでも」♪「OGAWA GO!」6強。 あっ 原発見えます。