「世界遺産ドリーム対決!」。 今回は…トルコ人とオーストリア人がプレゼン合戦します!オスマンチームが取り上げる世界遺産は…目もくらむほどの…ハプスブルクチームが取り上げる世界遺産はウィーン歴史地区とシェーンブルン宮殿。 対する こちらは オーストリア人によるハプスブルクチームでございます。 人間世界遺産 美輪さんです。 世界遺産とかはよく ご覧になったりとか…。 現在のトルコのイスタンブールを首都としまして地中海地域からアラビア半島黒海周辺までこの広い地域を治めています。
そんなオスマン帝国でしたが一旦 怒るともう大変だったんですよ。 実は このコンスタンティノポリスこそが現代のイスタンブールです。 実力主義のオスマン帝国。 こうして メフメット2世はコンスタンティノポリスの陥落に成功。 コンスタンティノポリスが陥落するまでキリスト教最大の大聖堂でした。 この地を征服したメフメット2世はその建物の壮大さに魅了され十字架が取り去られメッカの方角を示すイスラムの祭壇ミフラーブが造られました。
この町に住んでいる キリスト教の人やほかの民族の人は小学生から メフメッドさんの事を勉強するんです。 さあ 続いては ハプスブルク帝国です。 私のふるさと ウィーンへ ようこそ!ハプスブルク帝国の首都だったんですよ。 この時 ハプスブルクの兵隊は繁栄のきっかけとなった人物がシュテファン大聖堂に眠っています。 15世紀の王…彼は 長男を経済大国だったブルグント公国の姫と婚約させる事に成功。 ハプスブルク家は 結婚でこんな すごい所を棚からぼた餅で手に入れる事ができたんですね。
双頭の鷲の紋章はヨーロッパの東西を見据えたハプスブルク家のシンボル。 ブルグント公国の成功に味を占めた一族はその後 結婚で領土を広げる婚姻政策に力を注いでいくのです。 ハプスブルク家にはこんな家訓が生まれます。 婚姻政策で 16世紀にはスペイン王国やボヘミアハンガリー王国もハプスブルクのものに。 ハプスブルクの結婚といえば やはりマリー・アントワネットが有名ですよね。 アントワネットが フランスに向かう途中で宿泊した所です。 勝ちましたよ!強い敵を追い払ってハプスブルクは最盛期を迎えたんですね。
時の皇帝 マクシミリアン1世が地方の聖歌隊に ほれ込みウィーンに連れてきたのです。 ハプスブルク帝国はキリスト教の信仰を深めたり式典を盛り上げる演出として音楽を大事にしてきました。 ウィーンでは音楽が一大産業として栄えまだ6歳だった…当時 既に オリジナルの曲を作るほどの才能を持っていました。 宮廷では エキゾチックなトルコ趣味が流行していました。 ピアさんも ワルツを?家族の習慣で結婚する時に 絶対 ワルツはファーストダンスで 結婚式で踊りますね。
オスマンと ハプスブルク!世界遺産ならではの味覚の旅にご案内します!さあ 今度は ハプスブルク先攻でまいりたいと思います。 スイーツのように甘~いマスクで…皇帝や貴族のために毎日 お菓子を持ってきた宮廷御用達の老舗です。 ハプスブルクは ポルトガルやスペインと姻戚関係を結んだ事で新大陸から 大量の砂糖を手に入れる事になりました。 ハプスブルクのお菓子を世界に知らしめたのはウィーン会議でした。
マイスターの神田さんにハプスブルク家ゆかりの特製スイーツを作って頂きました。 それに香り高い あんずのジャムを加えて コーティングしてそれで 更に 特殊な技法を使ったチョコレートのコーティングを 最後かけて仕上げるという形です。 ふんだんに上質なチョコレートとバタークリームを合わせて香ばしく しっとり焼き上げたスポンジと一緒に 層に重ねまして砂糖をふんだんにキャラメルを着飾ったトルテです。
ディキメンさんは 東京にあるトルコ宮廷料理店のオーナーシェフ。 トルコ食文化の魅力を伝えるために里帰りしたディキメンさん。 シルクロードの終着点 イスタンブールには世界中から香辛料が集まりました。 料理人が 1,000人もいたといわれ料理は スルタンが食べるだけでなく大勢の部下や外国の要人をもてなすためにも重要なものでした。 それは 一体どんな料理だったのか?数百年も伝えられてきた料理書にレシピが残されていました。 これが オスマン宮廷料理。 ディキメンさんは長年の研究と経験からその作り方を推理しました。