NHKアーカイブス「沈黙の春~レイチェル・カーソンの警告〜」

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この番組のまとめ

そういう意味では世界に 大変な衝撃を与えたしレイチェル・カーソンの「沈黙の春」は環境保護思想の先駆けとなった著作として今なお 読み継がれています。

レイチェル・カーソンは1907年 ペンシルバニア州西部の小さな町で生まれました。 松本さんと同行したのは…上遠さんは 早くからカーソンの思想に注目しカーソンの作品の翻訳を手がけるかたわらレイチェル・カーソン日本協会を設立。 大学院卒業後 カーソンは 政府機関の漁業野生生物局に勤めて広報関係の仕事に当たりそのかたわら 「海洋物理」や「海の生物の生態」などをテーマに本の執筆を始めます。

カーソンの死後DDTなど 毒性の強い農薬は世界各国で次々と 使用中止になりました。 毒のある化学薬品を大きかったっていう事になりますけど結局 この本が出版されてそして 大統領まで動かして世界中に化学物質の負の面といいますかそういう安全性を考えなくちゃいけないというそういう大きな流れがここから始まる訳ですね。

それだけに この本のインパクトがそういう一連の化学物質の安全に対するいろんな行動の原点になった訳ですね。 ただ 工業薬品としてDDTは 農薬以外に用途もありましたので使われていたんですけど化学物質審査規制法という法律が1973年に出来てるんですけどこれを国際的に禁止していくという事になってます。 人工化学物質に囲まれた暮らしの中でテストが繰り返されます。 患者の血液からは多くの人工化学物質が検出されます。 しかし 健康な人の血液にも実は多くの化学物質が含まれています。

体内に蓄積されたある化学物質の量が一度解毒や抵抗力の限界を超える。 化学物質を排除した空間で汗を流し原因となる物質を体の外に出す事が最も有効な手段なのです。 豊かで 快適な暮らしの陰で今 アメリカでは 人工化学物質の流出事故が 相次いでいます。 快適で 便利な暮らしを実現させた化学物質が一転して人間を脅かす。 20世紀の繁栄を支えた化学物質の逆襲。 しかし 人々がこうした化学物質の危うさに目を向けるまでには長い時間が必要でした。 ここは 化学物質の20世紀を語る上で欠かせない場所です。

DDTは この間も分解されずセグロカモメの体内では湖に流れ出た時と比べ数千万倍に濃縮されています。 1960年代後半 人工化学物質による新たな異変が集中したのはこうした 工業地帯でした。 当時 五大湖周辺の産業では3万種類の化学物質が生産そして使用されていたといわれます。 化学物質の問題の危機的状況が認識されるには長い時間がかかってしまいました。 20世紀 世界にあふれ出した人工化学物質。 環境ホルモンは 化学物質が体内から分泌されるホルモンの働きを混乱させる問題です。

当時 アメリカ国立環境健康科学研究所にいた…マクラクラン博士が1979年に出した論文です。 アメリカは 今年社会に広く使われる化学物質およそ1万5,000種の安全性を環境ホルモンという全く 新たな視点から本格的に 見直し始めます。 1999年 15年前にアメリカでは化学物質の安全性をいわゆる環境ホルモンという視点で見直し始めたという事になりますね。 それまで 我々化学物質の有害な影響いわゆる環境ホルモン作用というのはあまり気が付かなかったんですね。