そんな清志郎と かつて 運命的な出会いをしていたという太田。 ♪「タバコのけむり とてもあおくて」♪「ずっと夢を見て 安心してた」晩年は がんと闘いながらもステージに立ち続けた清志郎。 ♪「Day Dream Believer そんで彼女はクイーン」漫才師の…いわくつきの対面だった。 そのコラムを読んだ清志郎が突然 太田に対談を申し入れてきたのだ。 清志郎は 30代半ばから社会へのメッセージをストレートに歌う事にこだわり始めていた。 かつての清志郎の歌に惹かれてきた太田。
そんな清志郎が のめり込んだのが音楽だった。 頂点へと上り詰めた清志郎。 清志郎の心と体は悲鳴を上げていた。 一体 何を歌えばいいのか?清志郎は分からなくなっていた。 参加したのは 70年代から社会風刺を 独特のユーモアで歌ってきた互いの文化は違うけどロックンロールを通じて更に 紛争や 核戦争の危機。 僕らのいる世界では どんな事を歌ってもいいのだと清志郎さんがあなたたちに会った事で確実に悪影響だったと思います。 そんな事ないよ!清志郎は 日本では見つけられなかった何かをこの国で見つけたんだと思うよ。
それでも 清志郎は「COVERS」に こだわり続けた。 「帰らざる人とは知れどわがこころその当時の清志郎の手記が最近になって見つかった。 新たな道へ踏み出そうとしていた清志郎。 ♪「えぇ お客さんよどうなんだい」清志郎は あくまで歌という手段で社会を問い続けた。 そこが清志郎さんのキャパのすごさというか。 もう始まるの?♪「あふれる熱い涙」それを探す清志郎のラストデイズが始まった。 清志郎さんが あんなに若くしてね亡くなってなかったら清志郎君は 58年のね…人生だったって。