NHKアーカイブス「ゴジラからのメッセージ」

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この番組のまとめ

「ゴジラ」映画が伝えてきたメッセージを読み解きます今日は みうらじゅんさんにお越し頂きました。 一番初めに見たのは「ゴジラ」の映画だったので僕 そのあと 怪獣ブームがあってテレビで「ウルトラQ」とか「ウルトラマン」が始まるんですけどもその前やっぱり 怪獣映画でしたからそれを見た思い出が鮮烈に残ってていまだに 年に2~3回ぐらいは見返しているぐらい好きです。 小学校1年生の時に見た初めての怪獣映画初めて見たショックというかそれが もう いまだに忘れられずこんな年までずっと見続けているって感じです。

この年 アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行い日本の第五福竜丸が死の灰を浴びた。 核実験で生まれた 巨大な怪獣が東京を破壊する奇想天外な物語だった。 大規模な怪獣映画を作るには撮影助手のほかにも80人のスタッフが必要だった。 美術大学を卒業後 臨時雇いで模型飛行機作りを手伝っていた。 円谷さんは 若い時おもちゃ会社の嘱託社員をやっていて転職して こつこつとこの特撮技術を 自分で身につけていったんですね。 日本映画史上初めての事な訳ですね。

「水爆で生まれた ゴジラが東京を破壊していく場面は核兵器の恐ろしさと愚かさを伝えるために最も重要な場面になる」。 スタジオには「ゴジラ」役者の中島春雄さんそして 円谷さんの下で撮影助手を務めていた有川貞昌さんにお越し頂いています。 有川さん ご自身はカメラマンとしてはどのぐらいその当時は…?カメラマンと言われるには全く おこがましいんでおやじに 「おい じゃあ このカットここから いこうや」と言われると「はい!」って言ってそこへカメラ 持っていきますよね。

さて いよいよ特撮場面の撮影が始まります。 撮影開始は1か月後に迫っていた。 役者 中島春雄だった。 重さ50kgを超える「ゴジラ」の縫いぐるみを身につけ黙々と 練習に励んでいた。 セットの段差につまずき「ゴジラ」が転んだ。 ついに 撮影のクライマックスを迎えた。 はい 本番!「ゴジラ」役の中島は銀座通りへと歩いていった。 「ゴジラ」の撮影が終了した。 観客動員数は実に 961万人を記録した。 特撮に 人生を賭けたおやじさん 円谷英二は満面の笑みを浮かべた。

中島さんは 満員の劇場の中でどんな お気持ちでご覧になってたんですか?やっぱり 興奮しますよ。 だってクランクインから クランクアップまで自分で 苦労して作って…。 中島さんは いかがですか?何にもないものを自分で 一生懸命やってそれが 現実に 画に表れてくる。 「ゴジラ」役者の中島春雄さん。 後にいろんな方入られたけども中島さんの「ゴジラ」はやっぱり オリジナルで動きが とても ぐっと来たしそれと 円谷さんのミニチュアの精巧さですよね。

割と 昨今はみんな 監督目線で見るけど当時は 「ゴジラ」目線だからもう破壊したくてしょうがないからミニチュアの精巧さっていうのが当然 小学生だから全然 近づけないんだけども一番憧れた人が円谷英二さんで僕 小学校の憧れる人はいつも 円谷英二さんって書いて。 東京の街は焼け野原となりました地球を破壊してしまうかもしれないこの兵器を発明した科学者と共に「ゴジラ」は 海の底に沈み白骨となりました人間の生活の中で必要な事かもしれませんしそれは 科学だとか 人間の知恵の勝利だと思いますけれども。

赤坂さんが おっしゃった荒ぶる神っていいましょうかそういうようなものを1作目を後から見てお感じになったりはしましたか?「ゴジラ」の… おっしゃったちょっと人身御供的な話とかもまだそういう日本だったんですよね。 第五福竜丸がビキニ環礁で被ばくをして死者まで出る訳じゃないですか。 今 第五福竜丸のお話ありましたがVTRの中で本多監督が 「ゴジラ」の製作の前に原爆に焼けた広島の風景を思い起こしていたとありましたけれど。