明日へ−支えあおう−「私たちの町に来てください~震災の語り部たち〜」

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この番組のまとめ

富岡町商店街は避難指示解除準備区域と言われるエリアです。 どのくらいになったらヤバいですか?基本的に 日本の基準というのは1時間に直しますと0.23マイクロシーベルト。 ここでの放射線量はおよそ0.1マイクロシーベルト。

かつてはサッカーの日本代表が練習した…今は 原発作業員が着替える場所になっています。 オーガニックコットン プロジェクトを立ち上げたのは地元の主婦の 吉田さんです。 農家の方たちがこのまま農業 続けていいかどうか分かんないって当時 すごく悩んでおられてその農家さんたちにじゃあ私たち 何かお手伝いできる事ないだろうかと 考えた時に食用じゃない繊維になる作物という事でオーガニックコットンの栽培を始めました。 里見さんの語り部ツアーでもこのボランティアに参加できます。

10mを超える津波が町の中心部を襲い400人以上の命が犠牲になりました。 一人で この「津波伝承館」をオープンさせました。 津波というのは 怖いものだととにかく津波に対しては言葉に対して大変 敏感に育て上げられました。 齊藤さんが語り部を始めたのはインターネットに投稿した映像が反響を呼び講演に呼ばれるようになったからでした。 地震発生直後 齊藤さんが勤め先で撮影しました。 齊藤さんが すぐに避難を呼びかけ社員は 全員無事でした。 齊藤さんが初めて津波を体験したのは昭和35年のチリ地震津波です。

齊藤さんがスクリーンに映したのは津波にのみ込まれる直前の町の写真です。 津波が迫っているのを本人たちは 気付いていません。 そういうのを見せて津波って怖いものだな というのをお知らせしてやはり危機感を持って やらなきゃ駄目だなという気はしましたよね。 一般社団法人 おらが大夢広場。 やっていくうちにやっぱり来たからには当時の現状であったり震災前の状況というのが知りたいという声もありましたのでそういった事から 被災地ガイド語り部ガイドというものをやり始めたのが きっかけですね。

すごい真面目な子なのに午前中 休みをもらって私 隣町の現場だったんですけどもわざわざ現場に「お昼 一緒に食べたい」って来て何が面白いか ず~っと笑ってて。 私は 仕事で責任者だったのでその時の仕事のせいで イライラして「ありがとう」も何も言えずにそのまま バイバイしてしまいました。 ひょっこりひょうたん島見えますかね?語り部の東梅さんが案内するのは「ひょっこりひょうたん島」のモデルと言われる 蓬莱島。 その思いを知った 東京の会社員から提案されたのが産地直送。