ろーかる 兵庫特集 新兵庫史を歩く「“官兵衛の夢”に思いをはせて~姫路市〜」

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この番組のまとめ

姫路城といえば「大河ドラマ」の主人公 黒田官兵衛22歳の若さで城主になりました。 そして 関ヶ原の戦いのあと姫路城主になった池田輝政。 姫路城の南にある大手前公園を出発。 その後 姫路城を一望できる男山の山頂を目指し道すがら 千姫天満宮と男山八幡宮へ お参りします。 スタート地点の姫路城南側の大手前公園に朝9時ごろから 参加者の皆さんが集まってきました。 黒田官兵衛を中心として歴史的な背景のところとかいろいろ田辺先生の すばらしい説明でいろんな事 知る事ができたらいいなと思ってます。

好古園は姫路城の西にある庭園で姫路城を借景としているのが特徴です。 好古園というのは最後の城主 酒井家の藩校の好古堂にちなんで付けられた名前なんですが昔の城主の西屋敷 武家屋敷があった場所をこの敷地にしている訳ですね。 ここの中に江戸時代の武家屋敷の庭園が復元してある訳ですが江戸時代も 1700年ごろになると非常に豊かに。 これからは船場川の川沿いに散策路姫路文学館に向かいます。 それが 大坂の陣の時に秀頼が死ぬんですけれども助け出されてそして この姫路の城主本多忠政の息子川沿いの道を進んでいきました。

それでこの「播磨灘物語」読んでますと播磨の人々は 結局 毛利方につくのが多かったですから滅んでいく訳ですけれどもその播磨人のこの黒田官兵衛という人物が体現していたというふうに書いておられます。 「播磨灘物語」の文学碑がある神社は…おっと ガッツポーズの方もいらっしゃいます。

三木の別所が落城して滅んだあと秀吉が 三木を播磨の中心にしようとした時に姫路を推薦して そして 自分は姫路のお城から出て頂上が平らになってる山がありますがあれが 国府山と呼ばれてる山で官兵衛さんは あそこへ自分のお城を造って姫路から退いて ここへ 秀吉を招き入れたといわれてる。 こんな 官兵衛さん時代の廣峯や増位山や国府山やそして 姫山と男山全部が見渡せる所ですので山も こんなふうにして歴史と結び付けて見て頂いたらと思います。

続いて播磨国総社 射楯兵主神社です。 射楯兵主神社兵庫県に何社かありますけど名前から見ても 戦の神様ですがこの播磨の姫路の射楯兵主さんが播磨国総社という事で全部の神さんが集まってられる訳です。 天正8年に 秀吉から1万石の領地を播磨でもらった官兵衛が大名になった訳ですから軍の旗 戦の旗を立てる事を許されてそこで 17日間この播磨国総社でご祈とうをお父さんと一緒にして軍旗6本を定めたというふうにいう訳です。 今 「大河ドラマ」では 黒田官兵衛が姫路城におりますけどあの時代には石垣がないんですね。

秀吉の時代に 城下で餅を売ってた おばあさんが続いて 田辺先生から黒田家の歴史についてお話がありました。 黒田家なんですけれどももともとは 黒田家というのは近江の源氏の出やというんです。 黒田家は 源氏いうてもですね宇多天皇という天皇がおるんですがその宇多天皇から分かれた家柄なので 宇多源氏。 近江国に住み着いてたというんですがその住み着いた琵琶湖の 東 北の方の土地の名前を取って佐々木という事を名乗ってた。