2万人近い命が失われた東日本大震災から3年余りがたった今当時 被災地で行われた救命や救助活動を検証する取り組みが進められています。 DMATは 大規模な災害が起きた際いち早く現場に駆けつけて救命治療を行う専門集団です。 集まったのは被災地の病院を訪ね震災で亡くなった人の調査を進めてきた医師たちです。 長野県から駆けつけた諏訪赤十字病院のDMATです。 隊員たちが まとめた報告書にはDMATの需要はなかったと記されています。
阪神大震災をきっかけに整備されてきた災害医療は速やかに 被災地の外の病院に搬送するシステムの整備が大きな課題となっています。 岩手県では迅速に救助を行うため越野さんは ヘリコプターを救出活動の柱に据えました。 3月12日 夜明けとともにヘリコプターによる沿岸での救出活動が始まりました。 災害対策本部に一つの救助要請が届きます。 鈴子峯子さんがいる釜石にヘリコプターを差し向けてほしいというものでした。 NHKがまとめたヘリコプターの運行記録です。
震災直後の混乱を生き延びようやく たどりついた避難所で今も 割り切れない思いを抱えています。 妻 恵美子さんは震災から6日後10mの津波が襲った気仙沼市街地。 その時 恵美子さんは老人保健施設にいました。 震災から3日後恵美子さんは 呼吸が苦しくなり病院に運ばれました。 少しでも いい環境を求めやって来たのは気仙沼で最も大きな避難所だった総合体育館。 本当にもう肩で呼吸するような大勢の避難者がいる中で苦しさを表に出さずにいた恵美子さん。 震災から6日後 恵美子さんは呼吸不全で亡くなりました。