この山鉾に飾られているタペストリーも世界の一級品の一つなんですがこれはレプリカなんです。 町会所の一番奥に飾られているのは真っ赤な鳥居とタペストリーです。 タペストリーっていうのは西洋風の壁掛けですよね。 なぜ、どんなルートでこのタペストリーは京都に渡ってきたのかその謎を追いました。 タペストリーは鎖国にも関わらず18世紀末には京都に届いていたことだけが分かっています。 タペストリーの修復作業が行われたときのことでした。 タペストリーを縁から外したときある文字を発見します。
この鯉山のタペストリーは17世紀初め今のベルギーで作られたものでトロイア戦争が描かれていてしかも、驚いたのは5枚の連作のうちの1枚でみんな日本にきてるんじゃないかっていうことでしたね。 祇園祭のタペストリーとの連作が見つかったのは飾られています。 オランダは貿易を許された見返りとしてそれに、この石川県のタペストリーの所有者は加賀前田家。 徳川家と姻戚関係があったところでタペストリーは徳川家から渡ったと考えるのが自然ですよね。
京都四条通新町西入町の藤倉屋十兵衛さんが呉服問屋ですね。 江戸後期尾張徳川家の出来事が詳細に記された文書です。 伊藤家は多額の献上金に対する謝礼として、徳川家の宝タペストリーの1枚を手に入れた可能性が考えられます。 このタペストリーの入手先も記録に残っていました。 大津が、このタペストリーを入手した先も豪商でした。 徳川家への献上品として日本へもたらされその後、借金に対する謝礼として京都の豪商の手に渡り祇園祭を飾ることになったのかもしれません。
安土桃山時代の京都には教会が建ってたんですよ。 彼は、西洋人たちから世界の話を聞くのが好きやったのでそれで、南蛮寺に近い本能寺に寝泊まりすることがあったんじゃないかなと私はひそかに考えています。 飛びついたのは戦国武将だけではなくどうやら江戸中期の京都ですかね。 私、呉服を商うております三井高利でござります。 私の子孫の時代には徳川様をはじめ大名方への貸付金がまあ、ざっと55万両ほどになりました。 だから、祇園祭なんかはその山や鉾に450年あまりの歴史を持つ京都の呉服商・西村家です。
2人の足元にあるのは大きな星模様のじゅうたん。 イスラム圏で作られたじゅうたんはオランダ東インド会社の人気の輸入商品の一つでした。 中でも、たびたび描かれたのがこの大きな星模様のじゅうたん。 星模様のじゅうたんは画家たちが空想で描いた幻のじゅうたんは実在する。 それは紛れもなく星模様が描かれたあの幻のじゅうたんでした。 その星模様の幻のじゅうたん。 「京都 祇園祭 千年の謎」。 祇園祭最大の謎といわれるじゅうたんはこの鉾を飾ってきました。
中国文化圏と、その周辺で植物の生えない砂漠地帯を探すとゴビ砂漠、タクラマカン砂漠の可能性が浮かび上がってきました。 チベットで見つかったじゅうたんと祇園祭・長刀鉾のじゅうたん。 謎のじゅうたんはイスラム教徒が多く住みそしてチベットに近い中国北西部で織られたのではないか。 数十万種類の生物の遺伝子が登録された国際データベースと照合したところしかし、もう一つヒットしたのは珍しい動物でした。 希少動物のチベットカモシカです。 標高5000m近い高山地帯に生息するチベットカモシカ。