歴史秘話ヒストリア「与謝蕪村 俳句と絵画を極める」

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この番組のまとめ

♪~しかし 蕪村の本業は俳句でなく 絵。 蕪村の華麗な活躍ぶりを今に伝えます。 俳句と絵画二つの世界を極めた蕪村。 蕪村が大好きだというイッセー尾形さんが大熱演。 俳句の先生 当時の言葉で俳諧の宗匠のシンボルです。 蕪村は 京都の下京庶民的な地区に暮らしていました。 蕪村の家に俳諧の弟子が集まっています。 蕪村率いる 「夜半亭句会」が始まります。 せやけど それは ちょっと難しすぎるんやないですかな?そんな言葉は当時 ありませんけども…蕪村宗匠一苦労していたようです。

独学だった蕪村は中国絵画のマニュアル本を参考にして描く事もあったと言われます。 両者が手を携えて「蕪村芸術」という 一つの宇宙を形づくっていたのです。 蕪村は 得意の中国風の瀟洒な画法で描いています。 蕪村が 角屋に多くの作品を残したのは人気絵師だったからという理由だけではありません。 蕪村が角屋の主人に宛てた手紙です。 蕪村と角屋の主人は俳諧を通じた仲間だったのです。 しかし 蕪村27歳の時この 生涯 ただ一人の師匠は世を去り各地の俳諧の仲間たちを訪ね歩いていたと考えられています。

独学で 一人 黙々と 絵の技を身につけていった蕪村ですがただ一度 大きなライバル対決を経験しています。 池 大雅は 蕪村と同じ京都の画家。 蕪村より 7歳年下で10代の頃から 将来を嘱望された早熟の天才でした。 蕪村が56歳の時 地方の豪商から大雅との共同制作を依頼されます。 大雅は 山荘暮らしの「便利さ」を蕪村は 山荘周辺の景観や四季の「宜しさ」を主題としました。 蕪村は描く前 先に制作を終えた大雅の作品を見たと考えられます。 いよいよ蕪村の最高傑作 誕生です。