NHKアーカイブス「原爆の絵~悲劇を語り継ぐために〜」

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この番組のまとめ

NHKでは広島放送局 長崎放送局を中心に「昭和20年8月6日午前8時過ぎごろ。 空を見上げると B29爆撃機が白い色の飛行機雲の尾を引きながら広島で被爆した人たちが被爆直後の様子を描いた「原爆の絵」。 記者は 町の中心に入ろうとしましたが原爆の被害を伝える遺品などが保管されている…その一角に 被爆者が描いた2,200枚余りの絵が保管されています。 昭和49年から昭和50年にかけて原爆による被害の実態を市の中心部で被爆した人が目の当たりにした光景です。

「やけどによる水膨れ…火膨れと言うべきか体液 リンパ液が たまってコンパスで描いたような風船頭になった人たちです。 安原さんは とっさに 自分の母と妹ではないかと思いました。 これを見た瞬間は自分の母親だと…。 安原さんの母 スミヨさんです。 安原さんは 57年間数えきれないほどこの場所を訪れています。 更に 遺体が同じ方角を向いている事など安原さんの絵と多くの共通点がありました。 安原さんは植田さんを訪ねました。 安原さんは長年 整理できなかった思いに髪の毛と もんぺが描かれています。

戦時中 消火のために市内の至る所に置かれていた防火用水。 辰巳さんは これまで娘の同級生が防火用水で亡くなったと聞いていました。 原爆投下の20日後広島市内に入った アメリカ軍の調査団が撮影した映像です。 助けてあげられなかった事に対するねやっぱり 自分の罪滅ぼし以外に市の中心部へ向かう途中小学生が 崩れた校舎の下敷きになっている事を知りました。 「よしもと なおこ」というあの女の子は被爆後の混乱の中で誰かに弔われたのだろうか?加藤さんは学校に残る全ての資料をもう一度調べてみる事にしました。

人々の感覚を まひさせるほどおびただしい数の遺体が町じゅうに見られました。 絵は 川に多くの遺体が流れていた被爆の翌日から始まっています。 10日後船の近くに 浮かんでいるのはもんぺ姿の女学生らしき遺体だけになりました。 その2日後高本さんが 起きだしてみると砂の中に埋めました。 10枚の絵は死んだ女学生を悲しむ心を高本さんが取り戻していった1か月の記録です。 「原爆の絵」は世界に 核兵器の恐ろしさをこれからも永遠に伝えていきます。 原爆資料館の館内に移動してまいりました。

親族みんな広島で生まれ育っていますのでみんな 被爆はしてるんですが特に 私の記憶で一番ひどいのは父方の祖母が 上半身…下唇までが 大やけどケロイドを残しておりましてですね。 こういう母と子の絵を体験記もたくさん書かれてはいますが絵を描かれる時というのは本当に 記憶に残っていた情景がいろんな悲惨な状態を原爆は もたらしましたけど生き残った方たちはその 生きた証しを残されている。 広島市の地図から検索して見る事もできます展示の全面的な見直しといいますか更新作業を進めております。