ヒバクシャからの手紙

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この番組のまとめ

津田さんは インターネットを活用して東日本大震災などの記憶の継承に取り組んでいらっしゃいます。 津田さんは どのようにご覧になりましたか?そうですね僕は東京で育ったので広島でやられてるような平和教育がなかったので去年 話題になった「はだしのゲン」なんかは子供の頃から学校とかに置いてあってそれを読んで 原爆の悲惨さみたいなものは 知っていましたから逆に言うと 「はだしのゲン」という誰にでも分かるような伝わっていったのかななんて事を思いましたし。

69年前の広島 長崎への原爆投下でその年だけで20万人を超える命が奪われたという事になっています。 後遺症で 友人の髪がどんどん抜けるところを今回 寄せられた中で特に印象に残ったのが生き残った事を後悔するようなお手紙なんですね。 しかし 原爆投下の日白沢さんと その女性は「2~3日 飛行機が来ないなと思っておりましたところ70年たとうとしてる今でも その気持ちは…。 松原さんは 原爆投下直後に広島市内に入り 被爆しました。 松原さんは 今回 初めてその出来事を手紙の中で打ち明けました。

でも それはこういう形で解消していかなきゃいけないんだという事を教育のレベルでもやらなきゃいけないでしょうしもっと多くの広い場所で「ヒバクシャからの手紙」 ここからは「最後のチャンス」という言葉が強く印象に残りましたがこうして 文章で体験を書き残すという事については津田さんは どういう意味があると思われますか?そうですね 文章というのはひたすら 自分と 自分の奥底にあるものと向き合って書くという作業ですからしかも 何度も何度も推敲して重ねて書く事ができる分だけ自分の本音を書けるところもあると思うんですよね

文章だから書けるところもあるでしょうし当然 この匿名の方も何で これまで書けなかったのかというとあまりにも悲惨な悲しい体験だったからこそそれを自分の心の奥底の中に閉じ込める事によって忘れる事で自分の心を守るという防御反応だったわけですよね。 そういうふうに 必死に書き残して下さったものを広島市で暮らす…保田さんは2年前から研修を受け被爆者に代わって体験を語る語り部を目指しています。 保田さんが受け継ごうとしているのは新井俊一郎さんの体験です。 保田さんは 新井さんの被爆体験を原稿にまとめています。

伝えていけるのか 伝え方にもテクニックが必要だと思うのでそれは 演じる側もそうですし映画を作るっていう事もある種 テクニックが必要でそういう技術だったりテクニックというのを私も考えていかなければいけないしみんなで考えていかなければいけないなと思いました。

それぞれの受け止め方があるわけですけれども杉野さんどう お聞きになりましたか?そうですね…私の父も被爆2世で私の映画人生の原体験というかただ 間違いなく一つ言える事は実際の被爆体験者の方が自分の体験として被爆を語るという事はあと10年とか20年で語り部の方が亡くなられてしまうとそれ自身は根絶してしまう話ではあると思うんですよね。