いつか来る日のために「証言記録スペシャル 高齢者の避難」

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この番組のまとめ

ご高齢の方はやはり その日 その時迅速な避難行動を なかなかできないという状況があります。 近所に住む家族が駆けつけ指定された避難場所に逃げるよう促します。 しかし 赤沼さんは同じ避難場所に逃げるのを断念します。 赤沼さんは昭和8年の三陸大津波で家族が ばらばらに高台に逃げ全員 助かった経験がありました。

それを考える時に自分は いいから人に迷惑かけたくないからという思いの中でこうやって自宅に とどまった方逃げなかったと最近 ご高齢の世帯が増えていわゆる老老介護と申しましょうか動けない人に付き添っているという状況の中でやはり逃げられないという状況が出来上がってしまうという事なんだろうと思います。

地震のあと 河村さんは高台にある 消防団の屯所に向かいました。 岩手県大町の消防団で部長を務める…自宅にいた お年寄りの救出活動をしていた消防団員を津波で失いました。 あの日 鈴木さんたちは強い揺れのあと津波が来ると思い2台の消防車に分かれ住民に避難を呼びかけながら高台へ向かう事にします。 もう一台の消防車の団員たちは自宅にいて 自力で動けないお年寄りを助け出そうとして津波に巻き込まれていました。 消防団員の犠牲を どうすればなくす事ができるのか。

津波てんでんこという言葉はもともとは 「一人一人 ちゃんと自分の命を守っていかないと地域が 全滅しちゃうんだ。 逃げられないという状況の中で高齢者の早期避難について取り組んでいる地域があります。 一次避難場所を12か所作り海沿いの どこにいても5分以内に避難できる避難ルートを整備しました。 この道は新たに整備された避難ルートです。 更に 23m以上の所に二次避難場所を設け時間に余裕があれば逃げる事になっています。 原則として 家族が 両親を避難させる事にしています。