NHKアーカイブス「再発見 小泉八雲の世界」

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この番組のまとめ

日本人の素朴で謙虚な生き方に美しさを見いだした八雲おおむね 皆 気の毒なくらい正直な人たちであるのを私は見てきている」。 実は 小泉 凡さんは小泉八雲の ひ孫にあたられるんですね。 それで 3つの願いが終わったというような民話なんですが考えてみればこれは 八雲が 子どもの頃アイルランドの乳母のキャサリンという人から聞いた話なんですね。

常に 反対側自分の悪い方の目を隠してアルバムの写真は およそ100枚。 当時の松江はまだ 電気が届いていない江戸時代の面影を色濃く残す城下町でした。 アメリカの雑誌社の記者として日本を紹介する記事を書くためにやって来た 八雲は来日後すぐ島根県の誘いを受け松江の尋常中学校で英語教師となりました。 ♪~松江に着くやいなやその美しさに心奪われた八雲は宍道湖のそばの宿に入りペンを走らせます。 アメリカで 既に 「古事記」を読み神々が集う出雲大社の存在を知っていた八雲は間もなく ここを訪れています。

八雲にとって セツは日本のしきたりや風習を教えてくれる最も身近な先生となりました。 八雲は 自然の中に 魂を見いだし恐れてきた日本人の心が八雲は セツを妻として迎えます。 八雲が勤める事になったのは熊本第五高等中学校。 アルバムには このころの熊本の様子を撮った写真は残されていません。 近代化に ひた走り昔の面影を捨て去りつつある熊本では更に 八雲は もう一つ日本の近代化を象徴する光景に出会います。 熊本市内に 明治の初めから続く老舗の写真館があります。 富重写真館です。

ラフカディオ・ハーンは日本人 小泉八雲となったのです。 妻と子どものために日本人として日本で生きていく決心を固めた八雲。 愛する日本が軍国主義へと進んでいく姿を目の当たりにした八雲はここで ジャーナリストとしてペンを執ります。 八雲の記事を集めたマイクロフィルムが神戸の大学に保管されています。 八雲は 中国での日本の軍事行動を辛辣に批判しています。 戦争で勇ましい仕事をするのが勇気なんではなくて優しかった日本人の心が打ち捨てられ古き面影となったのです。

「雪女」や 「耳なし芳一」など八雲とセツが作り上げた「怪談」が世に出てから半年後八雲は 自宅でセツに見守られながら静かに息を引き取りました。 アルバムには 八雲の死後に撮影された写真も収められています。 小泉八雲のアルバムに残された100年前の日本の姿。

そういう中で 異文化を好奇心を持って眺めたという事がやはり 日本の本質に迫れたのかなというふうに思いますね。 今年の7月4日に小泉八雲の生誕地のギリシャのレフカダ島でヨーロッパ初のハーンミュージアムがオープンしました。 それで 結構 日本の小泉八雲ゆかりの地の自治体でこの記念館 このあともかなり多くの人がやっぱり オープン・マインドじゃないといけないんだなっていうのを感じますね。