8月に亡くなった俳優・米倉斉加年さん。 米倉斉加年さんは昭和9年、福岡県のお生まれです。 温かい情熱にあふれた米倉さんがそのまま自分の中に残っていてですね全然、喪失感というのはなくて自分の中にしっかりある米倉さんいるなっていう感じがしますし。 そうですね、すごくおしゃべりで演出の合間とかお芝居の休憩時間とかに身ぶり手ぶりですごくおもしろおかしく話すんでそっちのほうが、おもしろくてみんな米倉さんの周りには人だかりが、できてましたね。 まずはですね数々の出演作品からですね米倉さんの演技、ご覧ください。
この自害シーンオンエアでは僅かの時間でしたが撮影では苦しみながら死ぬまでを10分以上演じ続けたといいます。 予定にはない演技でしたが米倉さんは映画「男はつらいよ」ではコミカルな演技も披露。 この作品では樫山文枝さんがマドンナでした。 ドラマ人間模様「夕暮れて」。 NHKでの最後の出演となったのはことし放送の「サイレント・プア」。 宇野先生と初めて共演して宇野先生の年齢と同じようなふうにならなきゃっていうのですごく悪戦苦闘してトライされたんじゃないんでしょうかね。
連続テレビ小説で米倉さんと共演されました松重豊さんです。 本当に一人の修行僧のようにお芝居に対して、ひたむきに僕はいつか、そういう背中を持つ俳優になれたらいいなっていうのは本当に米倉さんから学んだことだと思います。
お父ちゃんは高校出てすぐ父ちゃんの元で塗り箸職人の修業始めてそやけど3年ほどでやめてしもうて勝手に出て行ってもうたさけえおじいちゃん怒ってしもうたんや。
相手役してるときよりも演出家として向き合ったときに若い人たちに若い人たちの個性をすごく生かそうとして基本的な演技術というよりもその人の持ってる個の魅力とか個の持ってるおもしろさっていうのを引き出すためにちょっと演技に破綻があってもそういうことはあんまり気にしないで一人一人に演劇に対する姿勢とか考え方とかっていうふうのことから攻めてったりやっぱりどっか米倉さんの温かさとご覧ください。 米倉さんの、もう一つの顔絵本作家としての活動をまとめました。 絵本作家米倉斉加年さんの作品です。
自分が体験した苦しみからそのころは小学校と言わずに国民学校と言っていました。 太平洋戦争の真っ最中です。 どんなことがあっても戦争はしないっていうこととかやはり原子力発電所の問題でもきちんと、ご自分の考えを発してたと思いますね。 憲法のことにしても、さっきちょっと出てきましたけれどご自分の思想を役者やりながら表現していくっていうのはなかなか勇気のいることだと思いますけれどもそれは一貫して変わらなかったんじゃないかと思いますね。