NHKアーカイブス「シリーズ1964 第2回 変わる東京~五輪景気の光と影〜」

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この番組のまとめ

人口が急増し世界で初めて 1,000万人を超える巨大都市となった東京。 今 再び オリンピックに向けて大きく変わりつつある東京。 そして もうお一方コミュニティデザイナーの山崎 亮さんです。 地域が抱える課題をそこに住んでいる人たち自身が解決するために地域の人々を結び付けるというコミュニティデザインに取り組んでいらっしゃいます。 そのテレビから 東京 都会の情報もたくさん入って…。 いろんな情報を発信する場所が東京と…。 東京は 世界で初めて人口1,000万人を超えました。

人口を世界一にするために無理やりに 人間を押し込んだようなものではないか。 ところが 東京は 時としてこの単調なリズムの中に突拍子もない不協和音を持ち込んでくる。 まあ 同年配の女の方が給料以上の物をまとめてお買い物になるという事は非常にコンプレックスを感じましたですね。 BGの生活本能が飾らない姿を見せるからだろう。 胃袋の中では 絶えず非人間化の過程が進行する。 誰でも なぜ 東京にはこんなに人間が集まったのだろうと一度は考えたに違いない。

去る2月 1,000万人の東京が誕生するまで私たちは 数々のつらい経験を乗り越えてきた。 都市計画の理想もこの速力の前には入り込む余地がなかった。 都市計画の青写真は 今までにも数え切れないほど作られたがその度に 一人で膨れ上がる東京の現実に追いつけなかった。 東京のエネルギーは都市の理想図を全く無視して生活の手段を与えた。 大工業地帯が戦災で壊滅したあとこうして 徳川幕府以来の中央集権的な社会構造が鮮やかに再建され その中心に東京は 座を占めたのである。 町並みは 東京で最も江戸の面影を残している。

東東京都知事は2年前 ずぶの素人から一躍 日本中で最も重要な政治家の一人になった。 それに引き換えて夜 飲んでる時の人の表情ってのはだいぶ やわらかいしそれから お昼ごはん食べてる時の女性の表情もやっぱりかなり うれしそうでしたからオンとオフをかなり切り替えてるな引力と言いましょうか言い方もありましたけれどもこれだけ 東京 急激に膨張させたそれは 何だと関川さん 思われますか?一番 大きな原因は人口増ですよ。

東京に行けば 名画座とか映画も見られる訳ですから田舎だと 当時はまだ映画館ありましたけど全部 封切館なんですよね。 だからといって 何て言うか東京に行って彼らのように 酒場に行ってセロニアス・モンクのジャズに浸りたいとは思ってなかったけどね。 人のつながりという意味ではどんなふうにお聞きになりました?多分 みんなで 何か一緒になって活動を起こしていくとかみんなで 自分たちの安全を守っていくとかある種の安全というだけではなくて安心感みたいなものを作るのは難しい街になっていたのではないかなと思いますね。

広島県山県郡戸河内町田代部落は去年の暮れ 最後の家族が去って冷害と雪害と 極端な生活の不便。 戸河内町に隣り合わせた加計町都賀尾部落。 都市が労働力を求め農村の労働者が 洪水のように流れ始めたからです。 広島県戸河内町農協専務のこうのさんは更に こう考えます。 この学校は 40年前に建てられ小学生と中学生 合わせて30人を教育していました。 しかし 今 中学生は 一人もなく中学校は閉鎖されました。 これが横川小学校児童の全員です。

この町工場には山村から移住してきた2組の夫婦が働いています。 夫婦合わせると 月に5万円を超えるといいますからかつて 山で山林労務に出て2万円程度の収入であった事を思えば倍以上の収入の増加だといいます。 多くの人たちは 特別の技術や知識を持たず 年齢も多いために去年の暮れ 無人の部落となった広島県戸河内町田代部落の人たちは町に移住してきてからも時折 報恩講という集まりを開き旧正月の元日 廃屋の村にささやかな行列が続きました。

過疎という言葉が出来たのはちょうど このころなんですがこの50年を考えてみますとさまざま地域振興策がありまして成果もあったかもしれない。 やっぱり 先ほどの一方向だったものが双方向に変わってきましたのでそういう ネットで いろんなものが注文できるようになってきたり例えば 僕は 1週間前ぐらいに徳島県の神山町という所にお邪魔したんですね。

やっぱり その地域のおじいちゃん おばあちゃんが育てているような自分用に作った 有機的なショウガをジンジャークッキーとして練り込んだり安全 安心の農作物で地域の方々に買ってもらえるような加工品を作っていくという事で結構 豊かに暮らしている都会から移住した人たちが増え始めてますね。