ここは 宮城県岩沼市の仮設住宅です。 この町を生み出したのは国が進める防災集団移転促進事業。 その中で ここは 異例の早さで集団移転を成功させました。 一方 被災地全体で見ると震災から3年半たった今も17万6,000人余りが仮設住宅などで不自由な暮らしを余儀なくされています。 そんな中大規模事業のうち 岩沼だけが既に土地の引き渡しも終了しました。 なぜ 岩沼では いち早く集団移転に成功したのか。 宮城県岩沼市の中心部にある仮設住宅。 400戸近くが暮らすこの仮設の住民たちが今回の集団移転の主人公です。
移転先に どんな町を作るのか住民たちが話し合い石川幹子さんです。 座布団スーツで九死に一生を得た小林喜美雄さんです。 まず 白地図の上に移転用地をピンクの線で囲みました。 口火を切ったのは座布団スーツで 九死に一生を得た小林さんでした。 コミュニティを保つため円い道路を囲んで集落ごとに集まって暮らします。 やっぱり 我々が要望出して理想的な事を言っても行政側と仲良くしていかない事には事が進まないと思うんです。 市の指示で同じ避難所に集まった人たちは岩沼市の集団移転事業は新たな段階に入りました。
再検討の結果災害公営住宅を2つに分け周りの住民たちと接しやすいように配置を変更しました。 しかし 多くは 行政側が計画の青写真を示して意見を聞いたため行政の案を巡って住民の議論がまとまらず合意が難しくなっています。 これに対し 岩沼市ではまず 住民同士の話し合いを白紙から始めその後 正式に市の担当者も交えて何十回も 議論を重ねてきました。 最も大きな公園などについては住民の要望を受け入れ芝生を復活させました。 市は 住民たちがこれ以上を望むなら芝生やイグネを 自分たち自身で植え管理してほしいと伝えました。