世界遺産に登録された富岡製糸場。 富岡製糸場の登場は世界も変えました。 日本の生糸はそのリヨンの危機を救い新たなデザインやファッションをもたらすきっかけともなったのです。 使われたレンガの数 百数十万個。 今日は 世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群に関するクイズ対決です。 正解した方には 得点として富岡製糸場の工女さん人形を立てて頂きます。 パックン 富岡製糸場に行った事は…?僕 この中で 断トツ一番ゆかりある方だと思いますよ。
富岡製糸場は 操業停止後も所有していた企業によって守られました。 一体 なぜ 断ったのでしょうか?伊藤博文は外国の資本が参入する事によって…明治政府は鉄道と並ぶ国家事業として日本の資本による製糸工場設立に取り組みます。 そのために 技術指導者として白羽の矢を立てたのが フランス人…破格の高給で雇い入れ敷地選びから機材発注まで一切を任せました。 ブリュナは 水と石炭が確保でき養蚕が盛んな事からそして 着工からわずか1年半というスピードで富岡製糸場を完成させたのです。
さて 続きましては富岡製糸場設立に尽くしたポール・ブリュナの祖国 フランスを訪ねます。 あの富岡製糸場の指導責任者ポール・ブリュナだったのです。 この辺りに ブリュナの父親の生糸工場がありました。 ブリュナの父は蒸気機関を使った生糸の器械を蚕が全滅する伝染病がヨーロッパ全土に まん延しリヨン周辺でも 生糸の生産に大打撃を与えました。 ブリュナは 日本各地を調査し良質の生糸を生産できると確信しました。 これは 数百人規模の工女を抱える富岡製糸場にも有効なものだったのです。 こちらは 富岡製糸場のもの。
フランスの裕福な市民のファッションにも絹製品として取り入れられました。 私は 糸が切れるっていうよりも公正な取り引きに必要って言ってたのでいくら 量が同じに見えても水分 吸ってしまって重く換算されたら買った方は損してしまうじゃないですか。 かつては 大量の水を含ませるという不正も横行したという事でそのために 水分検査器が…。 実はですね 同じものが富岡製糸場にもありました。 今年 世界遺産に登録されたのは富岡製糸場だけではないんですよね?そうなんです。 あの 荒船風穴っていう…。
蚕の卵を日本全国の農家から集め保管していた場所が…日本のマチュピチュですか? ここは。 一年中 冷た~い風が涼しい風穴で保管し季節感を人工的に コントロールする事で隙間を作って積み上げられているのですちょっと 測ってみましょうか。 ここで学んだ生徒たちは卒業すると高山社の種紙を買い均一で丈夫な繭を生産するお蚕ネットワークを広げました生徒は 中国や朝鮮半島からも来たそうですよ。