「NHKアーカイブス」今日は 東京・文京区にあります竹久夢二美術館からお送り致します。 夢二の作品をご覧頂きながら夢二のドイツ時代に光を当てまして一人の画家が 時代とどう向き合っていたのかそのまなざしに迫ってまいります。 美輪さんが夢二の大ファンという事も存じ上げているんですけども夢二のどんなところが魅力だと思ってらっしゃるんでしょうか?作品がオールマイティーで生活全般にわたっていろんな美意識を張り巡らして…。
夢二式美人の着こなしや しぐさは当時の流行にもなりました夢二が描いた 粋でモダンな女性像は憧れの的となったのですグラフィックデザイナーとして 文具や雑貨のデザインも 手がけていきました。 今年9月 そのまなざしをうかがえる 一枚の作品が夢二は ドイツで経済的な支援を受けた日本人駐在員にお礼としてこの絵を譲り渡していました美術館の学芸員でいらっしゃいます石川桂子さんでいらっしゃいます。
遠い異国で時代の光と闇のはざまに身を置いた夢二は何を見 何を思い何を美人画に託そうとしたのだろうか。 「宵待草」の作詞は 竹久夢二。 ♪「やるせなさ」昭和6年 淡谷さんは外遊直前の夢二と会っていた。 夢二のふるさと岡山に7年前夢二郷土美術館が完成した。 夢二の死後 一人の夢二研究家によって出版された幻の本である。 そして 夢二が肌身離さず持ち歩いていた6冊の手帳もこの手帳はベルリンで書かれたものである。 ベルリンで 夢二の生活を支えたのは多くの日本人であった。
非常に おとなしい方内気な方だったという事で今井茂郎ら 商務官のスタッフが開いた夢二の展覧会は大きな反響を呼んだ。 当時 ドイツ最大の新聞は既に 日本で名を成したモダンな画家 夢二について極めて好意的な批評を行っている。 この つつましき食事を夢二は ヨーロッパ滞在中 ベルリンに次いでこの芸術の都を愛し数回にわたって訪れている。 夢二が構想を描く11年前ドイツでは 有名なバウハウス宣言が出されていた。 バウハウスは 芸術の本質を手工芸に求めた美術工芸運動である。
夢二が好んだティアガルテン公園は今も ベルリンの名所である。 エバさんは イッテン・シューレから自転車で帰宅する途中この公園でよく 夢二を見かけていた。 日本の画家 夢二とユダヤ系の女性たちとの出会いはドイツ・ベルリンが まだ平和な時代であった事の証しかもしれない。 ベルリンの古本屋で手に入れたという夢二の美人画が居間を飾っていた。 ベルリンにあった美術学校イッテン・シューレは1934年 秋ナチスの手で 閉鎖に追い込まれた。
一つ聞いたのは金貨のコレクションやなんか持ってオランダかどっかへ持ち出してあげたと。 夢二は一つの時代の終わりを感じた。 これが夢二の美人画なんですが。 美術研究所構想。 1990年放送の「夢二の美人画に時代の闇を見た」。 ご覧頂きましたけど どんな感想をお持ちになりましたでしょうか?やっぱり 時代というものは個人を巻き込んでえらい目に遭わせますしね。 それはナチスが台頭する その時代にという事になりますね?ええ。 ジャーナリスティックなね一歩引いたところでふかんで全体を見る。