そんな細川さんこのたびNHKのBSプレミアムでお伝えしております「BS日本のうた」にご出演でございます。 北海道江別市で収録してきたもようです。 師匠・三橋美智也さんのヒット曲「哀愁列車」を熱唱です。 歌っているうちにどんどん降って終わったら、表江別市だったんですけど10cm積もっていたの今お聴きいただきました、三橋美智也さん、師匠なんですね。 昭和51年のときに、NHKのふるさとお国自慢という番組で沖縄に行ったときに三橋先生と一緒になったのそこで知り合ってね。
ちょうど中学生歌手を目指そうと思っていた細川さんですが、あることを一生懸命練習されていたそうです。 こんな時代に「北海の満月」を歌っても中学生は誰も聴かない。 周りの人は細川君は歌手になるんだねとみんな、思っていたかもしれませんね。 演歌歌手を目指していたわけですからね。 歌手を目指した細川さんは高校2年のとき家出同然で札幌に出て自動車整備工場で働きながらクラブで歌うようになります。 いきなり歌うことになったんですか?自動車整備工場に行って塗装工がいちばん手っとり早かったね。
♪「私バカよね」♪「おバカさんよね」♪「うしろ指 うしろ指」♪「さされても」♪「あなたひとりに」♪「命をかけて」♪「耐えてきたのよ 今日まで」♪「秋風が吹く 港の町を」♪「船が 出てゆくように」♪「私も旅に出るわ」♪「明日の朝早く」4月1日にデビューされてその年に「紅白歌合戦」に出場ということは。 このあと「北酒場」、「矢切の渡し」2年連続でレコード大賞も受賞されました。 あまりこぶしを使わないで流行歌を歌える「北酒場」は、自分の人生を描いた歌ですから一気に。
当時、演歌の歌手の人がバラエティー番組であまり、そういうことってなかったですよね。 「望郷じょんから」の部屋ということですね。 こぶしが利くというか、いろいろなパターンをやっていたほうがたくさん部屋があったほうがその中でヒット曲が出る。 大体雰囲気で歌いましたけど。 雰囲気で歌ったんですか。 雰囲気で歌えちゃうところがすごいですね。 「望郷じょんから」の部屋の出し方はまだ。 3つの声をこの3つの部屋この歌は、この部屋この曲はこの部屋という感じで出しているんですね。 60代からの新しい細川さんの部屋をね。
細川君に主役というか番組任せて番組めちゃくちゃになると思って頑張ってやりました。 長い人生の中で僕と細川君とのおつきあいはだから、ね、細川君今、点しかないからね。 北海道出身ですね。 子どもたちに、どうしてもオリンピックを目指してというようなそういうこともあってボランティアでずっとスキー大会をやって。 中高年もやって、この写真はNPO法人を取って子どもたちに寄付をしたり、スキー大会をするとお金がかかるのでいろいろな寄付をもらってそれをスキーヤーはお金がかかるのを、子どもたち道具も高いし全部高いから大変。